遺物から見る古代エジプト王朝盛衰史⑦

プトレマイオス朝|ヘレニズムとエジプト美術が融合した最後の王朝

プトレマイオス朝の美術は、ギリシア的写実主義とエジプトの宗教造形が融合し、
「多文化帝国の視覚言語」として展開した最終段階の古代エジプト美術です。

古代エジプト最後の王朝、プトレマイオス朝は、アレクサンドロス大王の死後、その将軍の一人であるマケドニア出身のソーテールが紀元前305年にファラオとして即位し、プトレマイオス1世を名乗ることで始まりました。元々彼はアレクサンドロス大王の側近としてエジプトを治める権利を与えられていましたが、やがて独立し、ギリシア人によるエジプト支配という新たな時代を築きます。

彼は政治家としても優れており、ギリシア人支配層を確立する一方でエジプトの宗教や伝統を尊重し、ファラオとして儀礼も行い、またエジプト式の神殿を建立してエジプト人の支持を得ます。

この時代に建設が始まったムセイオン(王立研究所)とそれに付属するアレクサンドリア図書館は、後に世界最大の学問の殿堂と称され、数十万巻ともいわれる書物が収蔵されました。ここには地中海世界各地から学者が集い、天文学、数学、医学、詩学など多彩な学問が研究されました。

この王朝の首都となった地中海沿岸のアレクサンドリアは交易の要衝として急速に発展し、ヘレニズム世界の文化と学問の中心地となります。ギリシアとエジプトの二つの文明がこの地で出会い融合され、文化が大きく開花したのです。

彼の息子、プトレマイオス2世フィラデルフォスの時代にはアレクサンドリアはさらに「知の都」として名声を高めます。図書館の蔵書は拡充され、太陽中心説を提唱した天文学者のアリスタルコスや地球の大きさを求めたことで知られる数学者のエラトステネスなどの著名な学者たちが活躍しました。

彼は多言語社会となったこの王朝をまとめるため、公的な碑文にはギリシア語、デモティック(民衆文字)、ヒエログリフという三言語が併記させる政策を進め、異なる文化背景を持つ人々が共存する基盤が作られました。

プトレマイオス3世エウエルゲテスの時代には、軍事と内政の両面でこの王朝の最盛期を迎えます。彼はリビア、シリア、エーゲ海に遠征して領土を拡大し、戦利品として過去にエジプトから略奪された多くのエジプトの神像を持ち帰り、この行為は「神々の帰還」として民衆の支持を集めました。彼の治世をたたえる「カノプス勅令」はカノプス・ストーンに刻まれ、この王朝の統治理念と宗教的寛容を今に伝えています。カノプス・ストーンはロゼッタ・ストーンより長文の碑文ですが発見されたのは1881年でした。

この時代に天空神ホルスを祭る神殿であるエドフ神殿の建設がエジプト南部において始まりました。ホルス神殿はエジプト伝統の様式を忠実に守りつつ、柱やレリーフにギリシア的な写実表現が見られ、この王朝の融合文化を象徴する神殿で、エジプトにおいてもっとも保存状態の良い遺跡の一つです。壁面にはホルス神とファラオがともに悪を退治する姿が彫られ、ファラオの神聖性と正義の象徴が描かれました。

しかし次代のプトレマイオス4世フィロパトルの時代以降王朝は弱体化しはじめます。政争が王家を蝕んだことで王朝を支える基盤が揺らぎ、王家は内紛に巻き込まれていきます。彼の治世中、ルクソール神殿の一部が改築されましたが、民衆の不満は高まっていきました。

プトレマイオス4世が急死したため、また幼かったプトレマイオス5世エピファネスが即位すると国内各地で反乱が勃発しはじめましたが、それを鎮圧した功績をたたえる勅令が暗色の玄武岩に刻まれることになります。後にロゼッタ・ストーンと呼ばれるこの碑は1799年にフランス軍が発見し、1801年にイギリスの手に渡ります。これにもギリシア語、デモティック(民衆文字)、ヒエログリフという三言語が併記されていたため、ジャン=フランソワ・シャンポリオンによるヒエログリフ解読の鍵となり、1822年に彼によって解読され、世界史にその名を残しています。(現在はカイロ考古学博物館に所蔵)

プトレマイオス6世フィロメトルの代には、さらに王位継承争いと外国勢力の干渉が相次ぎ、エジプトの独立性は次第に失われていきます。アレクサンドリアの王家では権謀術数が渦巻き、ファラオと王妃たち、側近たちの間で複雑な政治劇が繰り広げられました。民衆と神官たちはこうした争いに翻弄され、エジプト全土は不安定な時代を迎えます。

その後、短期間に何人ものファラオが交代した後に登場するのが、絶世の美女と名高いことで著名なファラオ、クレオパトラ7世です。彼女は流麗なギリシア語を操り、学識と美貌を兼ね備えた女性ファラオでした。彼女はローマの軍人カエサル、続いてアントニウスと結び、ローマとの戦いにおいてエジプトの独立維持を図ります。しかし、アクティウムの海戦で後に初代ローマ皇帝となるオクタウィアヌス(アウグストゥス)に敗北し、やがて自ら命を絶ったことで、300年続いたプトレマイオス朝は終焉を迎えました。彼女の死は、ファラオの時代の終焉を意味し、エジプトはローマ属州となりました。

この王朝の芸術と建築は、エジプトとギリシア文化の融合を体現しており、ハトホル神殿を主神殿とするデンデラ神殿複合体はプトレマイオス朝を代表する美しい神殿で、天井に描かれた黄道十二宮図(ゾディアック)は特に有名です。またフィラエ神殿もこの時代のもので、プトレマイオス朝のファラオたちの祈りの場として建てられました。柱や壁面の装飾にはエジプト古来の神話が刻まれていますが、その造形にはギリシア的な優雅さも漂っています。

古代エジプト プトレマイオス朝 ミイラ肖像画 ヘレニズム美術また、ミイラ肖像画は、プトレマイオス朝からローマ時代にかけての埋葬文化を象徴するもので、蝋画技法による写実的な肖像画は、被葬者の魂を永遠に記憶するために個人の肖像がミイラの顔部分に描かれました。まるで生きているかのようなその眼差しは、ヘレニズム美術の写実主義とエジプトの来世信仰の融合を如実に示しています。

連載まとめ|造形に刻まれた王権・信仰・人間の三千年

悠久のナイル川がもたらした恵みのもと、古代エジプト文明は誕生し、数千年にわたって独自の世界を築き上げてきました。歴代のファラオたちは神の代理人として君臨し、ピラミッドや壮麗な神殿、王墓の装飾等は今もその栄華を静かに語りかけます。
時に外敵に脅かされ、王朝の興亡を繰り返しながらも、エジプトの人々は伝統を守り、知恵と美を育んできました。

この連載を通して見つめてきた古代エジプト史の歩みは、壮麗な建築や芸術、宗教や言葉、そして人々の営みの重なりそのものです。王朝が滅びても、残された遺産は現代に息づき、私たちに人類の可能性と限りない想像力を語り続けています。古代エジプトの物語は、決して過去のものではありません。いまも私たちの想像と探究の源であり、終わりのない歴史への旅を誘い続けているのです。

とてつもなく長い時間の中で、繁栄と衰退を繰り返してきたエジプト。その地で繰り広げられてきた壮大な歴史と文化を、7回にわたって連載してきました。私自身、調べながら初めて知ることも多く、とても刺激的な学びの連続でした。
できるだけ各王朝ごとの動きや特徴にスポットを当ててご紹介してきましたが、今後、博物館や美術館で「第○○王朝」と記された古代エジプトの作品を見かけた際には、ぜひこの連載を振り返っていただき、その歴史的背景や時代の流れを思い出してもらえれば嬉しく思います。

参考資料:ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト 図録 2025

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ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト