遺物から見る古代エジプト王朝盛衰史④

新王国は、第18王朝から第20王朝にあたり、帝国としての領土を最大に広げ、国際的な影響力を持った古代エジプトの中でも最も繁栄した時代で、473年間続きました。
他の時代に比べ、王権と神権が強く結びつき、中央集権が確立し、戦争、外交、交易が活発で、軍事力・経済力・宗教権威のバランスが高いレベルで維持されたことが特徴で、神殿や王墓など壮大な建築が多く築かれ、芸術も華やかに発展しています。写真は新王朝時代の神殿の復元模型です。

○新王国 第18王朝

BC1550年 ~ BC1292年 首都:テーベ(現在のルクソール)

この第18王朝は、戦争と平和、信仰と異端、芸術と権力が入り混じる帝国の時代であり、258年間続きました。次の第19王朝と並んで、古代エジプトの中でも特に変化の大きい時代として知られています。

紀元前1550年頃、イアフメス1世がヒクソスを追い払い、エジプトを再び一つにまとめたことで、第18王朝が始まりました。彼は戦いに明け暮れ、デルタ地帯を奪還し、南のヌビアを征服してエジプトの領土を拡大しました。しかし、その功績は戦だけにとどまらず、神々への信仰を回復させるために、テーベの地にアメン神殿の整備を始めました。これが後のカルナック神殿の礎となります。

後を継いだ息子のトトメス1世は、さらに国境を押し広げ、軍を現代のイラク北部にあたるユーフラテス川まで進めました。その偉業を称えるように、カルナック神殿の中庭には高さ約30メートルのオベリスクが建てられ、空を突く石の針には王の名が刻まれ、永遠の勝利を語り続けています。また彼の時代に、王の墓の所在を秘匿するため、テーベ西岸の王家の谷に初めて岩窟墓が建設されたと考えられています。写真のブルーの皿は、この時期に流行したエジプト創成神話で語られる「ヌン(原初の海)」を表したもの。当時の人々はヌンが宿す潜在的な創造の力をこの皿を通じて、呪術的に宿そうとしたのかもしれません。

トトメス1世の死後、後を継いだのは息子のトトメス2世でした。在位期間は短かったものの、安定した統治を維持し、王としての責務を果たしました。

彼の死後、王位は息子のトトメス3世に継承されることになりましたが、まだ幼かったため、トトメス2世の王妃であり、トトメス1世の王女でもあるハトシェプストが摂政として政務を担うことになり、やがて彼女は、単なる摂政にとどまらず、自ら「ファラオ」として正式に即位しました。これは女性としては極めて異例のことであり、彼女は自身の王権を正当化するために、アメン神による神託を強調し、神殿建築や碑文を通じてその正統性を示しました。

彼女は男性の衣装をまとい、あごひげの偽ひげをつけて王として振る舞い、武力よりも交易と建築に力を注ぎました。現在もテーベ西岸のデイル・エル・バハリの断崖に抱かれるように、彼女のための葬祭殿が当時の姿を留めており、テラス状に広がる構造や列柱が落とす影が美しい景観を形作っており、壁面には、アフリカ東岸のプント国(正確な位置は不明)への交易遠征を描いた生き生きとした壁画が残されています。

しかし、彼女の死後に成長し、後を継いだトトメス3世は、彼女の彫像を破壊し、名前も削り取り、痕跡を消し去ろうとしました。これは、女性ファラオという異例の統治を否定し、改めて自身の王位の正統性を強調するために、彼女の治世を公式記録から抹消しようとしたものと考えられています。写真の遺物は彩色された墓壁画です。うっすらと赤い線が残っているのはグリッド線であり、制作時に絵師を補助するために描かれました。

彼は「古代エジプトのナポレオン」とも呼ばれ、統治期間の多くを遠征に費やし、シリア・パレスチナからヌビアに至る広大な領土を征服し、古代エジプト史上最大の版図を築き上げました。また彼の治世下でカルナック神殿はさらに拡張され、巨大な列柱室が建設されました。無数の石柱が林立するその空間は、王の権威を今に伝えています。

その後、数代の王を経て王位に就いたのがアメンホテプ3世です。彼は戦争よりも外交と贅沢を重んじた王でした。メソポタミア、アナトリア、バビロニアの王たちと交流し、彼らの王女を妃として迎え入れることで平和を築きました。カルナック神殿やルクソール神殿には新たな門が加えられ、巨大な王像が並びました。中でも、西岸の平原に座るメムノンの巨像は、今も訪れる人々を見下ろしています。写真の遺物は、ファイアンビーズ製の襟飾りです。エリート層の男女に重用され、死後にミイラとなった遺体の包帯に挟みこまれました。

しかし、その息子アメンホテプ4世(アクエンアテン)は、父とはまったく異なる道を歩みました。彼は多神教を否定し、唯一の太陽神「アテン」だけを信仰するという思い切った宗教改革を進めます。さらに都をテーベからアマルナ(現在のテル・エル・アマルナ)へ移し、自らの信仰のための新しい都市を築きました。この時代、芸術も大きく変わり、従来の理想化された王の姿ではなく、長い顔やふくよかな体、家族とくつろぐ自然な姿など、写実的な表現が多く見られるようになります。しかしこの改革は、アメン神官団などの既得権を持つ勢力との対立を招き、庶民にも理解されにくい急な変化だったため、アクエンアテンの死後すぐに否定されてしまいました。写真の遺物は、アクエンアテンの正妃で第18王朝を代表するヒロイン、ネフェルティティのレリーフです。彼女の姿はベルリン国立博物館にある古代エジプトを代表する肖像彫刻「ネフェルティティの胸像」とよく似ています。

その後、短期間に数人の王が即位と退位を繰り返した後、王位についたのが、日本でも最も有名なファラオの一人である少年王ツタンカーメンです。彼は伝統のアメン信仰を復活させ、都も再びテーベに戻しましたが、わずか10年ほどの短命に終わりました。彼の墓は急ごしらえの小さめの墓(他人の墓を転用した可能性もあります)でしたが、奇跡的に略奪を免れ、1922年にイギリス人ハワード・カーター率いる発掘隊によって発見されました。黄金のマスクや黄金の棺、無数の装飾品が詰まった墓は、死者の旅路を守る護符や神聖な象徴で満たされており、その発見は世界中に古代エジプトの神秘を知らしめる出来事となりました。

ツタンカーメンの死後は、宰相のアイ、そして軍司令官出身のホルエムヘブが相次いで王位を継ぎ、アマルナ時代の混乱を収めたうえで、再び伝統と秩序の回復に努めました。写真の遺物は、新王国時代の青色彩色土器です。主としてコバルトやミョウバンから採取される顔料使用することにより、パステルブルーの彩色を生み出しました。

このように、第18王朝は258年間にわたって繁栄し、多様な変化と発展を遂げた後、次の第19王朝へと続いていきます。

参考資料:ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト 図録 2025

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【参考資料】 第18王朝 ファラオ年表

ファラオ名 在位期間(BC) 主な功績・特徴
イアフメス1世(Ahmose I) BC1550年頃〜BC1525年頃 ヒクソスを追放し、エジプトを再統一。第18王朝を創始。
アメンホテプ1世(Amenhotep I) BC1525年頃〜BC1504年頃 都市整備と宗教政策を進め、死後は守護神として信仰。
トトメス1世(Thutmose I) BC1504年頃〜BC1492年頃 ユーフラテス川まで遠征、カルナック神殿を拡張。王家の谷の岩窟墓を使用開始。
トトメス2世(Thutmose II) BC1492年頃〜BC1479年頃 在位短期。崩御後、王妃ハトシェプストが摂政に。
ハトシェプスト(Hatshepsut) BC1479年頃〜BC1458年頃 摂政からファラオに。プント国との交易、デイル・エル・バハリ建設。
トトメス3世(Thutmose III) BC1479年頃〜BC1425年頃 第18王朝、最盛期の王。遠征で最大領土を築く。カルナック神殿の列柱室。
アメンホテプ2世(Amenhotep II) BC1427年頃〜BC1401年頃 父の軍事政策を継承。ヌビア・アジアへの遠征。
トトメス4世(Thutmose IV) BC1401年頃〜BC1391年頃 スフィンクスの「夢の碑文」を建立。
アメンホテプ3世(Amenhotep III) BC1391年頃〜BC1353年頃 外交と建築の黄金期。メムノンの巨像などを建設。
アメンホテプ4世(アクエンアテン)(Akhenaten) BC1353年頃〜BC1336年頃 アテン信仰を推進、アマルナに遷都。芸術も変化。
スメンクカーラー(Smenkhkare) BC1336年頃〜BC1334年頃? アクエンアテンの後継者とされるが詳細不明。
ネフェルネフェルアテン(Neferneferuaten) BC1334年頃〜BC1332年頃? 女性ファラオ説あり。短命の統治。
ツタンカーメン(Tutankhamun) BC1332年頃〜BC1323年頃 少年王。伝統信仰を復活。墓の発見で有名に。
アイ(Ay) BC1323年頃〜BC1319年頃 宰相出身。高齢で即位。ツタンカーメンの後継者。
ホルエムヘブ(Horemheb) BC1319年頃〜BC1292年頃 軍司令官出身。王統を整理し、第19王朝へつなぐ。

※在位年はおおよその推定です。またアマルナ時代(アクエンアテン以降)の王統は特に不明瞭な部分が多く、スメンクカーラーとネフェルネフェルアテンの実像については研究者の間でも意見が分かれています。


ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト

【巡回予定】
2025年4月19日(土)〜 2025年6月15日(日)会場:静岡県立美術館
2025年6月28日(土)〜 2025年9月7日(日) 会場:愛知県 豊田市博物館
2025年9月2日(土)〜 2025年11月30日(日)会場:広島県立美術館