遺物から見る古代エジプト王朝盛衰史⑥

〇第三中間期|分裂国家と「古典回帰」が並走した時代

第三中間期の美術は、王権の分裂と宗教権威の拡大のなかで、地方色の強い表現と「古王国的な古典様式への回帰」が同時に進む、多中心的な造形の時代です。

古代エジプトの歴史の中でも、第三中間期(紀元前1069年頃~前656年頃)は、分裂と多様性が際立つ特別な時代です。この時代には、複数の王朝がそれぞれ異なる首都を拠点として並立し、地方勢力や異民族の台頭、宗教的権威の拡大など、伝統と革新が複雑に交差しました。

第21王朝(タニス朝)

首都:タニス(下エジプト)|BC1069年頃~BC945年
王権分裂下でも、王墓美術(銀棺・黄金マスク)と貴金属工芸が高水準で維持された時代

第21王朝(タニス朝)は、下エジプトのタニスを拠点に成立しました。しかし、全土を統一していたわけではなく、上エジプトではテーベのアメン大司祭が実権を握る二重統治が行われていました。そのため王権の弱体化が進みましたが、この王朝のファラオ、プスセンネス1世の王墓からは銀棺や黄金マスクなど、新王国時代に劣らない精巧な副葬品が発見されており、芸術面でも高い水準を保っていたことがうかがえます。

第22王朝(リビア人王朝)

首都:ブバスティス(下エジプト)|BC945年頃~BC715年
地方権力の台頭により、王名刻銘や記念碑が各地で量産された時代

古代エジプト 第三中間期 第22王朝 シェションク スフィンクス 像第22王朝(リビア人王朝)は、下エジプトのブバスティスを首都とし、リビア系の王族が台頭しました。シェションク1世がエジプト再統一を目指し、パレスチナ遠征を行ったことが特に有名です。その戦勝碑文はカルナック神殿に刻まれ、旧約聖書に登場するエジプト王「シシャク」とも一般的に同一視されています。一方で、この時代から地方有力者の並立が進み、分裂状態が次第に強まっていきました。写真のスフィンクスには「シェションク」の文字が刻まれていますが、シェションクは5名おり、誰を指しているのかは不明とのことです。

第23王朝

首都:レオンティノポリス(下エジプト)|BC818年頃~BC715年
統一様式が失われ、地域ごとに異なる造形が併存した分権的美術の時代

第23王朝は、下エジプトのレオンティノポリスを拠点に、第22王朝と並立して存在した王朝です。しかし、国家としての統一性はなく、レオンティノポリス以外にも各地でファラオを名乗る有力者が存在し、実際には「地方政権のひとつ」に過ぎませんでした。地方分権が極度に進行したこの時代には、建築や美術にも地方色が強く表れ、各都市ごとに独自の文化が育まれました。

第24王朝(サイス朝)

首都:サイス(下エジプト)|BC727年頃~BC715年
短命ながら、後の復古主義につながる伝統回帰の兆しが現れた時代

第24王朝(サイス朝)は、下エジプトのサイスを都としたエジプト人による短命王朝です。主なファラオはタフナクトとその子バクエンレネフで、第25王朝(クシュ王朝)との対立の末に敗れ、吸収されました。

第25王朝(クシュ/ヌビア王朝)

首都:ナパタ(現スーダン北部)|BC747年頃~BC656年
古王国様式への明確な回帰と、ヌビア的要素が融合した再統一の造形

古代エジプト 第三中間期 第25王朝 墓装飾 レリーフ 書記古代エジプト 第三中間期 第25王朝 カルトナージュ 棺第25王朝(クシュ王朝/ヌビア王朝)は、ヌビアクシュ王国(現スーダン北部)のナパタ出身のファラオたちがエジプト全土を統一し支配しました。ピイ(ピアンキ)やタハルカらがアメン信仰の復興、カルナック神殿の増築、小型ピラミッドの建設など、伝統文化の再生に尽力したことが特筆されます。しかし、最終的にはメソポタミア(現イラク北部)を本拠としたアッシリア帝国の侵攻によってヌビアへ撤退し、終焉を迎えました。写真の作品は、まず墓の装飾に使われたレリーフで、この当時の書記の仕事の様子を描いています。次にこの時代に普及した亜麻布やパピルスをジェッソ(漆喰)で何層にも塗り重ねた「カルトナージュ」素材の棺。色彩も美しく残っています。

コラム|アメン大司祭国家

この分裂を支えたのが、テーベの宗教権威=アメン神官団でした。

古代エジプト 第三中間期 アメン神官 像 古典回帰 テーベ新王国末期から第三中間期にかけて上エジプト、特にテーベにおいては、アメン神殿の大司祭団が宗教的・政治的に実権を握り、いわば王朝の支配が及ばない「アメン大司祭国家」のような自治状態が続きました。彼らは財力や軍事力も持ち、一部は自らファラオを自称するほどの影響力を持ちます。時代が進むと、上エジプトにおいてもリビア系首長や地方有力者も各地で勢力を強め、さらに分権化が進行します。さらに、ヌビアのクシュ王国との結びつきが強まり、やがて第25王朝が上エジプトを足場に全エジプト支配を実現するきっかけとなりました。写真は「アメン神官の像」で、テーベ周辺で発掘されたと考えられています。顔などに古王国時代の様式が取り入れられており、古典様式への回帰が見られ、背中には碑文も書かれています。

第三中間期は、国家は割れても「様式(古典)」は割れず、むしろ各地で再利用され拡散していった時代でした。

後期王朝(末期王朝)|伝統復興と外来支配が交差した最後の輝き

後期王朝の美術は、「古王国・新王国の様式を意図的に再演する復古」と、ペルシア・ギリシアなど外来文化との接触が同時に進む、古代エジプト美術の最終章です。

古代エジプトの後期王朝(紀元前664年〜前332年)は、歴史の大きな転換期であり、エジプト全土の再統一した後、伝統の復興や異民族の支配、そしてギリシャ世界との交流が色濃く反映された時代です。その三つの要素が絶えずダイナミックに絡み合っており、この時代の美術品や神殿建築は、古代エジプト文明の「最後の輝き」として、現在にその魅力を伝えています。

第26王朝(サイス朝)

首都:サイス(下エジプト)|BC664年~BC525年
古王国・新王国様式を意図的に再演する「復古主義美術」の完成期

古代エジプト 後期王朝 第26王朝 クフ王名 指輪 復古主義第26王朝(サイス朝)は、下エジプトのサイスを都とした統一王朝で、プサメティコス1世やネコ2世、アマシスといったファラオたちが登場しました。伝統復興と国際交流も盛んに行い、ナウクラティスというギリシャ人の植民都市がナイル川下流のデルタ地帯に築かれ、ギリシャとの交易や文化交流が一気に加速します。また多くのギリシャ人傭兵や商人がエジプトに定住し、地中海世界の関係がより親密になりました。
この時代、芸術面においても新王国時代の栄光を意図的に復興させる政策が推し進められました。神殿や彫像などには「アーチザナル(職人的)」と呼ばれる古典様式の模倣が目立ち、プサメティコス1世のファラオ像や、ラムセス2世を模倣した力強い彫像など、特徴的な作品が多く生まれています。写真は「クフ王の名前が彫られた指輪」。過去、実際にクフ王が使用していたと考えられていましたが、現在ではこの時代のものと考えられています。これらは、過去の時代を意識した古典的なプロポーションと装飾によって、王や神の威厳を強調する伝統的な様式が再評価されたものです。また、色鮮やかな石碑や精緻な奉納像、ギリシャ陶器やギリシャ様式の工芸品もエジプト国内で生産されるようになりました。建築面では、サイスやメンフィスの神殿修復や拡張、地方神殿の復興が積極的に行われ、新たな巨大建築の建造よりも「伝統の再興」と「神殿文化の再評価」が中心となりました。

第27王朝(ペルシア第一支配期)

首都:メンフィス(下エジプト)|BC525年~BC404年
外来支配下で、伝統宗教と様式を守るための保守的造形が続いた時代

古代エジプト 後期王朝 第27王朝 ベス神 壷 魔除けやがて第26王朝(サイス朝)が終焉を迎えると、エジプトは現イラン地域に起こった大国、ペルシア帝国(アケメネス朝)の属州となりました。第27王朝(ペルシア第一支配期)には、カンビュセス2世ダレイオス1世といったペルシアの王たちがファラオとして即位します。彼らはエジプトの宗教や伝統を一定程度尊重し、神殿や宗教儀礼の維持を認めましたが、エジプト人の間では異民族による支配への反発が根強く残りました。美術品としては、ペルシア王の名前が刻まれた神殿装飾やカルトゥーシュ入りの彫像、ペルシア風の装身具や印章などが知られています。建築においても、新たな神殿の建設より修復や拡張が中心で、ダレイオス1世の名が残る神殿装飾も発見されています。写真の作品は「守護神のベス神の顔をかたどった壷」。いわゆる魔除けの壷であり、各家庭で使用されたり、墓に副葬されたりしました。

第28王朝(アミュルタイオス朝)

首都:サイス(下エジプト)|BC404年~BC399年
独立の象徴としての王権表現が重視された短期王朝

その後、サイスのエジプト人有力家系の出身アミュルタイオスが、第27王朝に対する反乱を成功させ、第28王朝(アミュルタイオス朝)を樹立します。この王朝は彼一代の王朝であり、支配領域は主に下エジプトに限られ、上エジプトや地方では一部の反乱や分裂も続いていました。在位中は対ペルシアの防衛に追われ、伝統的なエジプト文化の復興や大規模な建築活動は限定的でしたが、エジプト人の自立とアイデンティティの象徴的存在であったといえます。その後わずか5年で滅亡し、第29王朝(メンデス朝)に取って代わられました。

第29王朝(メンデス朝)

首都:メンデス(下エジプト)|BC399年~BC380年
対外危機の中で、新王国的様式を再利用した防衛的美術の時代

第29王朝(メンデス朝)はネフェリテス1世が樹立し、ペルシアの脅威に対抗するため、ギリシャと同盟関係を強化する政策を執ります。その次のファラオであるハコルは在位中、ギリシャ傭兵を積極的に雇い、ペルシアからの再侵攻を防ぐため防衛体制を築きましたが、内紛や宮廷闘争も絶えませんでした。対外的な脅威の中で、新王国の伝統様式を意識的に模倣する傾向が強まり、伝統的な神殿建築や宗教祭祀を維持・復興しました。美術面では、王の姿や神々の像に古典様式が色濃く反映され、伝統回帰の意思が明確に示されています。

第30王朝(サベネトス朝)

首都:サベネトス(下エジプト)|BC380年~BC343年
伝統美術の集大成として、神殿・彫像が最も精緻に復興された時代

第30王朝(サベネトス朝)を樹立したネクタネボ1世は軍事・外交の両面で有能なファラオであり、内政では神殿建築の修復や新設、伝統美術の復興に尽力しました。王朝の後期にはネクタネボ2世が即位します。彼は古王国や新王国様式を模倣した神殿の再興や芸術振興、伝統宗教への支援を行い、メディネト・マアディ神殿の修復・増築をはじめ、古典美術様式を意識した石像や壁画、副葬品が数多く残されました。また、「最後のエジプト人ファラオ」として知られ、後世のプトレマイオス朝や民間伝承にも影響を与えるなど、伝説的な人気を誇っています。しかし、対外的には再びペルシア帝国の圧力にさらされ、最終的には第31王朝(ペルシア第二支配期)によって滅ぼされました。

第31王朝(ペルシア第二支配期)

首都:メンフィス(下エジプト)|BC343年~BC332年
新造形が減少し、過去の様式を「保存」することが中心となった時代

第31王朝(ペルシア第二支配)で再びペルシア帝国による支配が復活します。アルタクセルクセス3世などがファラオとして即位しますが、国内の独立志向は根強く、ペルシア人支配者とエジプト人の間には常に緊張関係が続きました。こうした中、伝統神殿の修復や拡張といった「過去の栄光の再現」にエネルギーが注がれたものの、次第に壮大な新築事業は減少し、伝統美術の「保存」や「復元」が主流となっていきます。その後、アレクサンドロス大王が台頭し、彼の征服によってプトレマイオス朝の時代が始まります。

参考資料:ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト 図録 2025

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ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト