現在、三重県の伊賀市ミュージアム青山讃頌舎で特別展「化石が語る太古の世界」が開催されています。この展覧会では、伊賀の大地がはぐくんだ太古の記憶や多くの化石たちに出会うことができます。私もさっそく足を運んできました。
○さすらいの湖—琵琶湖の生い立ち
滋賀県にある琵琶湖は、日本最大の湖としてよく知られています。皆さんはこの湖が「生まれた場所を何度も変えてきた“さすらいの湖”」だということはご存じでしょうか?
もちろん、琵琶湖そのものが地面ごと動いたわけではありません。春に野原に咲く花が、少しずつその咲く場所を変えていくように、琵琶湖も時代ごとに消えては新しい場所で生まれ変わるサイクルを繰り返しています。
琵琶湖の歴史は、約440万年前の三重県伊賀市付近から始まります。名阪国道・中瀬インターから国道163号線を東へ進み、服部川沿いに広がる水田地帯。この場所にかつて「大山田湖」と呼ばれる湖がありました。地盤の断層運動によってできた浅いくぼ地に水がたまり、約40万年から50万年かけて、ゆっくりと広がり、安定して水をたたえていました。
やがて約300万年前になると、湖は伊賀市の阿山地方へ移動し、さらに滋賀県南部の甲賀地方で地盤沈下が起こると、狭く深い湖に変わります。約260万年ほど前になると、さらに北へ広がり、滋賀県の水口・日野・多賀地域へと「蒲生湖沼群」と呼ばれる小さな湖や沼が点在して存在する時代を迎えます。
その後も地殻変動や鈴鹿山脈の隆起にともない、湖は不安定な水域や湿地をくり返しながら北上します。100万年ほど前になると現在の琵琶湖南側付近に「堅田湖」という小さな湖ができ、43万年ほど前には現在の琵琶湖北側にまでその範囲が広がりました。こうして、琵琶湖は長い地質変動と移動の歴史を経て、ようやく今の琵琶湖の形となります。
〇大山田湖の森と動物たち
この大山田湖を取り巻いていたのは、メタセコイアやスイショウ、チャンチンモドキといった、現代の日本では見かけない樹木たちでした。今の中国に生育するような植物が生い茂り、まるで熱帯から亜熱帯を思わせる森が湖のまわりに広がっていたことが、化石の調査から明らかになっています。
さらに、湖のほとりにはゾウやワニの姿も見られました。服部川の河床からはゾウの足跡化石やワニの骨も発見されていて、この地が今よりもずっと温暖だった証拠となっています。写真はワニの足跡の化石です。
〇伊賀焼・信楽焼のルーツ—古琵琶湖が育んだ土
伊賀や信楽といえば、日本六古窯にも数えられる伝統的な焼きものの里です。実は、これらの焼きものに使われている土も、古琵琶湖の恵みが生んだものです。
大山田湖をはじめとする古琵琶湖の湖底には、何万年ものあいだ川が運んできた粘土や砂が厚く堆積しました。その豊かな湖底の粘土層が、後の伊賀焼や信楽焼の陶土として掘り出されるようになったのです。湖の移動によって湖底だった土地が地表に現れ、その粘土が人々の手によって陶器となり、現代まで伝わっています。
伊賀焼や信楽焼の素朴な風合いや力強さ、美しい色合いは、まさにこの太古の湖に育まれた粘土質の恵みがもたらしたものです。湖が運んだ命と大地の記憶が、いま私たちの手元に器として届いていると思うと、はるか昔の自然のドラマが少し身近に感じられるのではないでしょうか。写真の器の左側が伊賀焼、右側が信楽焼です。
〇おわりに
琵琶湖が歩んできた長い「さすらいの旅」と、そのルーツである大山田湖の環境、そして現在にも息づく古琵琶湖がもたらした大地の恵みを紹介しました。それらが残した恩恵は、現在を生きる私たちが見る風景や文化の中にも、静かに受け継がれています。それらを観たり、手に取ったとき、かつてこの地に湖が広がり、その周囲で森や動物たちが生きていた太古の記憶にも思いを馳せてみてもおもしろいと思います。
そして、はるか未来、地球が再び大きく変わるときには、琵琶湖がまた新たなさすらいの旅に出る日が再びやってくるのかもしれません。
(青山讃頌舎「化石が語る太古の世界」②へ続きます。)
音声:なし
作品撮影:すべての作品で可能
伊賀市ミュージアム青山讃頌舎
特別展「化石が語る太古の世界」
2025年6月7日(土)~ 2025年7月6日(日)
休館日:火曜日
午前10時 ~ 午後4時30分


