1. 導入|揺らぐ世界の入口
朝霧のなかを車で走ると、世界の輪郭が一度ほどけて見えることはないでしょうか。
ものの形は曖昧になり、遠近は揺らぎ、私たちは対象を正確に捉えることが難しくなります。
しかしその不確かさのなかで、ふだんは意識されない光や空気の存在が、かえって鮮明になることがあります。
19世紀末から20世紀初頭、今回の主人公であるクロード・モネと菱田春草が生きた時代は、世界を明確に捉え、整理し、固定しようとする力が、強く働いていた時代でした。
その流れのなかで、二人は偶然にも、その輪郭が揺らぐ瞬間へと歩みを進めていきます。
本稿では、彼らが完成された美を求めるのではなく、世界が溶ける瞬間に立ち会おうとした、その態度に目を向けていきたいと思います。
2. 背景|輪郭への疑念
この時代に起きた都市の近代化は、それまで不明瞭であった世界を可視化し、把握可能なものへと姿を変えていきました。自然は人によって分析・分類され、再現される対象となり、その一方で、移ろいや気配といった要素は、徐々に表現の周縁へと押しやられていきます。
美術における輪郭は、単なる線や形ではなく、世界を安定させるための装置でもありました。
しかしそれは同時に、刻一刻と変化し続ける自然を、どこかで切り捨ててしまう要素でもあります。
モネと春草は、油彩と日本画という、それぞれ異なる絵画表現に身を置きながら、絵画を形づくる輪郭の存在に疑念を抱き始めました。
彼らの関心は、自然を正しく再現することよりも、自然が変わり続けているという事実そのものへと向かっていきます。
3. モネ|筆のタッチが世界を分解するとき
クロード・モネ(1840-1926)(Image: Claude Monet (1899), photo by Nadar, Public Domain.)は、印象派を代表する画家として知られています。
1840年にパリで生まれ、ノルマンディー地方のル・アーヴルで少年時代を過ごしました。
画家を志し、ウジェーヌ・ブーダンと出会って戸外制作を勧められて以降、一貫してその表現に邁進し、既存の評価体系や完成された構図から、次第に距離を取っていきます。
サロンが求める明瞭な主題や統一された画面は、彼にとって、世界を固定してしまう枠組みに見えていました。
そのなかでモネが選び取ったのが、色や形を画面上で混ぜ切らず、細かな筆のタッチとして並置する技法――「筆触分割」でした。
この技法では、色はあらかじめ調和させて塗り込められるのではなく、画面の上に置かれ、見る側の視覚のなかで結ばれていきます。
初期の代表作『印象・日の出』(1872年, マルモッタン・モネ美術館,パリ)(Image: Impression, Sunrise, Claude Monet, Public Domain.)においても、港の風景は明確な輪郭を持たず、短く刻まれた筆触が、水面の揺らぎや朝の光の反射として並んでいます。
近づいて見れば、そこには空と海、船の境界はほとんど存在しません。しかし、少し距離を取ると、それらはひとつの風景として立ち上がってきます。
それは、世界を整理して描いた結果ではありません。
光が視覚のなかで揺らぎ、分解され、再び結び直される──
その過程を、そのまま画面に委ねた結果でした。
やがて『睡蓮』(イメージは1916年に描かれた国立西洋美術館所蔵作品,著者撮影)の連作に至ると、筆触はさらに細分化され、画面から地平線は姿を消していきます。
水面と空、反射と実体の区別は溶け合い、画面は見る対象というより、光と色の振動そのものを受け止める場へと変わっていきました。
鑑賞者の視線は、定まる場所を失い、画面のなかを漂うことになります。
モネが描いていたのは、対象そのものではありません。
光が移ろうその瞬間に、世界がいったん分解され、
見るという行為のなかで、再び立ち上がる──
その出来事そのものだったのです。
輪郭を保つことをやめたとき、初めて見える世界がある。
モネは生涯にわたって、その確信に視線を委ねていました。
4. 菱田春草|朦朧体が残した手触り
同じ時期、日本で菱田春草(1874-1911)(Image: Hishida Shunsō, unknown author, Public Domain.)が向き合っていた課題もまた、日本画における輪郭の問題でした。
1874年、長野県飯田町(現・飯田市)に生まれた春草は、16歳で東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学します。
在学中は、学校長であった岡倉天心や橋本雅邦から強い影響を受け、
日本画の表現が向かう先を、模索するようになります。
彼の画業において、もっとも大きな比重を占めていたのが、「朦朧体」と呼ばれる表現への取り組みでした。
日本画は、線によって形を定めることを基盤としてきました。
輪郭線は、対象を明確にし、画面を安定させる役割を担ってきたのです。
しかし春草は、その線が、自然の移ろいや空気の揺らぎを、
かえって切り取ってしまうことに気づいていきます。
朦朧体において春草が行ったのは、線を消すことそのものではありません。
色と色の境界を曖昧にし、形が画面のなかで、ゆっくりと滲み合う状態をつくることでした。
対象は輪郭によって囲われるのではなく、
周囲の空気や光とともに、画面に漂うように置かれていきます。

『落葉』(1909年,永青文庫蔵,六曲一双)(左隻:Image: Autumn Leaves, Hishida Shunsō, Public Domain.)(右隻:Image: Fallen Leaves, Hishida Shunsō, Public Domain.)では、木々や地面の境目は明確に示されず、色彩の重なりによって、晩秋の気配が立ち上がります。
近づいて見れば、そこに確かな形を見出すことは難しく、しかし少し距離を取ると、風景としてのまとまりが感じられます。
それは、対象を正確に描写した結果ではありません。自然が視覚のなかで、溶け合い、揺らぎ続ける──その状態を、そのまま画面に受け止めた結果でした。
『黒き猫』(1910年,永青文庫蔵)(Image: Kuroki Neko (Black Cat), Hishida Shunsō, Public Domain.)においても、猫の姿は確かにそこにありますが、
輪郭は強調されず、闇や空気のなかへと静かに溶け込んでいます。
見る者は、形を把握するより先に、そこに「在る」という感触を受け取ることになります。
春草が描いていたのは、完成された形としての対象ではありません。
自然が変わり続ける、その手触りを感じ取る瞬間を、線のない画面のなかで、留めようとしたのです。
しかし、その感覚がどこへ向かうのかを見届ける前に、彼の生涯は終わりを迎えます。
輪郭を手放したその地点で、
春草は確かに、世界が溶ける瞬間に立ち会っていました。
未完であることは、ここでは欠落ではありません。
それは、その瞬間に触れていたことの、確かな痕跡なのです。
5. 分解と溶解のあいだで
モネと春草のあいだに、直接的な交流関係は記録されていません。
また、筆触分割と朦朧体は、技法としても異なります。
それでも二人は、同じ地点に立って、世界を見つめていました。
世界がひとつの像として保てなくなる瞬間。
分解され、溶け、それでもなお美が立ち上がる──その瞬間をです。
それは、持続する理論ではありませんでした。
一度掴めば安定するような思想でもありません。
ただ、その場でしか成立しない、刹那的な確信でした。
世界は固定されていない。
そして、それを見つめ続けることは、
その不安定さを
引き受けることでもあったのです。
他の双響シリーズについては、こちらでまとめています。
(双響|Soukyō シリーズ一覧)


