1.同じ時代の風のなかで
――十五世紀。
ヨーロッパでは油彩技法が確立し、宗教画のなかに「現実の光」が差し込み始めていました。
一方、日本では南北朝の動乱を経て、能という新しい芸能が生まれ、言葉ではなく「気配」で世界を語ろうとしていました。
どちらも、人間の内面をどのように表現するかに、切実に向き合った時代です。
フランドルの画家、ヤン・ファン・エイク(c.1390–1441)と、日本の能楽師で思想家、世阿弥(1363–1443)。
遠く離れた二人は、それぞれの場所で、同じ問いに手を伸ばしていました。
――見える世界の奥に、何があるのか。
本稿では、その問いに対して、十五世紀という時代が導き出した二つの結論を読み解いていきます。
2.ヤン・ファン・エイク|「ここにありき」――度を越した写実の到達点
十五世紀初頭のヨーロッパ絵画は、なお金地の下地に描かれた聖画(イコン)が主流でした。
しかしフランドル地方(現ベルギー、オランダ周辺)では、ヤン・ファン・エイクが兄フーベルトとともに、新しい絵画の可能性を探っていました。
イタリアでは教会の漆喰の壁に壁画を描くフレスコ画が発展しましたが、アルプス北方地域のゴシック建築圏では壁面が少なく、代わりに板絵や写本が重要な媒体となります。そのなかで油彩の技法が改良され、絵具は薄い層として重ねられるようになりました。
それまでの卵黄を媒体にするテンペラ画が「表面で光る絵」だとすれば、油彩は「内側から光る絵」です。光は絵具の層を透過し、反射しながら、奥行きとして立ち上がります。そこでは、光そのものが主題になりつつありました。
彼の代表作である『ヘントの祭壇画』(1432、 シント・バーフ大聖堂、部分、Image: Hubert van Eyck, Public Domain.)において、天上と地上は分断されず、宝石、刺繍、草花の露に至るまでが同じ光の秩序に包まれています。
世界は象徴としてではなく、「そこに在るもの」として描かれました。
本人の肖像と思われる『赤いターバンの男性の肖像』(1433、 ロンドン・ナショナル・ギャラリー、Image: Portrait of a Man, Jan van Eyck, Public Domain.)に記された標語――
ALS ICH CAN(私にできる限り)。
それは技法の誇示ではなく、見るという行為への倫理的宣言です。
そして『アルノルフィーニ夫妻像』(1434、 ロンドン・ナショナル・ギャラリー、Image: The Arnolfini Portrait, Jan van Eyck, Public Domain.)。背後の凸面鏡には、部屋と人物、そして画家自身の存在が映り込み、こう刻まれています。
Johannes de eyck fuit hic.(ヤン・ファン・エイク、ここにありき。)
ここで画家は、神の物語の従者ではなく、「この場所で見た事実」の証人となりました。エイクは、見えるものを、度を越すほど誠実に描こうとした画家だったのです。
その写実は、技巧の頂点というより、これ以上、同じ態度では進めない地点を示していました。
3.世阿弥|「そこに在る」――形を手放した表現の到達点
十五世紀の日本は、戦乱ののちに静けさを求める時代でした。
そのなかで、世阿弥は能を「心の芸」として完成させます。
猿楽はもともと神社祭礼の見世物的な芸能でしたが、父・観阿弥が物語性を拓き、世阿弥はさらにそこから形を削っていきました。
彼が目指したのは、型の美ではなく、心の気配が立ち上がる瞬間でした。
「花は心に咲き、形に匂ふものなり。」(風姿花伝)
花とは技ではなく、演者の心に一瞬だけ生まれるものです。
その花は、動きや言葉を減らすことで、かえって鮮明になります。
能の舞は多くを語りません。
沈黙のなかで、わずかな呼吸や視線に観る者の心が共鳴したとき、舞台はふっと生きる。
『井筒』で、水面をのぞく女に映るのは、恋人ではなく、彼女自身の心です。(画像:月岡耕漁 能楽百番 井筒 著者蔵)
能はしばしば抽象的だと言われますが、実際には、抽象化すら越えて、形そのものを手放した表現だと言えるかもしれません。
残されているのは、観る者の心が動いた瞬間だけ、像が立ち上がる構造です。
だからこそ能は、更新される必要がありませんでした。
変わらなかったのではなく、すでに削り尽くされていたのです。
4.響きあうまなざし|二つの極端な結論
ヤン・ファン・エイクは、見えるものを極限まで描き尽くしました。
世阿弥は、見えないもののために、形を極限まで削りました。
描き尽くすことと、削り尽くすこと。
正反対の道を進みながら、二人は結果として、表現が消える直前の地点に立っています。
エイクの写実は、それ以上、同じ仕方では越えられない到達点となり、
世阿弥の芸は、それ以上削れない構造として定着しました。
十五世紀という同じ時代が、人間の感覚の限界に触れ、
西と東で、二つの結論を導き出したのだと考えることができます。
5.系譜と継承|影響のかたち
系譜的に見れば、ヤン・ファン・エイクの前には、イタリアのフィレンツェにジョット・ディ・ボンドーネがいます。
ジョットが世界を人間の感覚へ引き寄せ、エイクはそれを極限まで見切りました。
一方、東アジアでは、水墨画の精神を体現した牧谿(もっけい)が、形をほどき、気配を描きました。世阿弥は、その精神を時間芸術へと移し、形を不要なものにしました。
二人が後世に与えた影響は、作風の模倣ではありません。
彼らが残したのは、世界と向き合う態度そのものでした。
6.影と余韻|そして現代へ
ヤン・ファン・エイクの写実も、世阿弥の表現も、高みに達したがゆえに、後世には「影」を残しました。技巧は形式化され、沈黙は型になりかけます。
それでもなお、二人の芸術が生き続けているのは、そこに問いが残されているからです。
光はどこまで届くのか。
静けさはどこまで深まるのか。
AIが絵を描き、評価を下す時代において、問われているのは技術ではなく、
どんな態度で世界を見るのかが、問われているのかもしれません。
エイクの「ここにありき」。
世阿弥の「そこに在る」。
――いま、ここに在る世界と、どう向き合うのか。
その問いはいまも、私たちの前に静かに開かれています。
――あなたの“見る”は、どこに在りますか。
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