双響 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ × 近松門左衛門|境界が溶ける芸術
J・S・バッハ『マタイ受難曲』と近松門左衛門『曽根崎心中』を比較。教会都市と商都大坂の制度、コラールと詞章の仕掛けが観客を「外」に置かない理由を追います。東西の“型”が感情と運命を濃くし、AI時代に境界が溶ける瞬間を問い直す一篇です。
双響 ヤン・ファン・エイク × 世阿弥|光と静けさで「見えないもの」を見つめた二人
十五世紀、フランドルの画家ヤン・ファン・エイクと、日本の猿楽役者・世阿弥は、離れた地で同じ問いに挑んでいました。光を描いた画家と、静けさを演じた役者――二人の「見えないものを見る」ための表現をたどります。
双響 ルノワール × 横山大観|光を抱え直すとき
モネと菱田春草が「輪郭を破る美」に立ち会ったあと、ルノワールと横山大観はその感覚をどう引き受け、生き直したのか。同じ時代に生きた四人の選択から、美を“渡す”という行為の意味を静かに辿る一篇です。
双響 モネ × 菱田春草|光と霧、破れる輪郭
19世紀末から20世紀初頭、クロード・モネと菱田春草は「輪郭が揺らぐ瞬間」に立ち会っていました。筆触分割と朦朧体という異なる技法を通して、光と気配、分解と溶解のあいだに現れる美を辿ります。東西の近代絵画が響き合う一篇です。
双響 マルセル・デュシャン×柳宗悦|便器と雑器で〈美〉の根本を問い直した二人
〈双響シリーズ〉二十世紀が幕開けた頃、フランスのマルセル・デュシャンと日本の柳宗悦は、互いを知らぬまま同じ問いに向き合っていました。便器と雑器――壊すことと、すくい上げること。正反対の二人が見つめた「美とは何か」。その問いの軌跡をたどる、美と感性の記録です。
