- 1.はじめに|正倉院には何が残っているのか
- 2.正倉院宝物とは
- 3.一度は見たい正倉院宝物15選
- 1.螺鈿紫檀五絃琵琶(北倉29)|世界で唯一残った古代の五絃琵琶
- 2.漆胡瓶(北倉43)|ペルシアから伝わった「形」
- 3.白瑠璃碗(中倉68)|1300年前の透明なガラス
- 4.瑠璃坏(中倉70)|ガラスを「使う」
- 5.鳥毛立女屏風(北倉44)|失われた羽毛を想像する
- 6.平螺鈿背円鏡(北倉42)|世界の素材を一枚の鏡へ
- 7.木画紫檀双六局(北倉37)|聖武天皇も遊んだ
- 8.紅牙撥鏤碁子(北倉25)|数センチの碁石にも宿る美意識
- 9.螺鈿紫檀阮咸(北倉30)|日本から消えた楽器
- 10.彫石尺八(北倉34)|名前は同じでも、音楽は違う
- 11.伎楽面 酔胡王(南倉1)|人が「異国の王」になる
- 12.天平宝物筆(中倉35)|大仏に「目」を与えた筆
- 13.国家珍宝帳(北倉158)|物だけでなく「記録」が残った
- 14.黄熟香「蘭奢待」(中倉135)|奈良時代のあとにも歴史は続いた
- 15.金銀鈿荘唐大刀(北倉38)|武器にも美は必要だった
- 4.有名な正倉院宝物は何年に一度見られる?
- 5.15の宝物から見える正倉院
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1.はじめに|正倉院には何が残っているのか
奈良・東大寺大仏殿の北西に建つ正倉院。
校倉造の巨大な倉や、毎年秋に奈良国立博物館で開催される「正倉院展」はよく知られています。しかし、「正倉院には何が入っているのか」と聞かれると、意外に答えるのは難しいかもしれません。
現在、正倉院にはおよそ9000件に及ぶ宝物が伝えられています。その内容は、華麗な螺鈿工芸やガラス器だけではありません。
楽器、遊戯具、仏具、武器、文房具、染織品、文書――。
奈良時代の人々が実際に見て、触れ、奏で、遊び、祈ったさまざまな品々が、一つの宝物群として残されており、奈良国立博物館も正倉院宝物を、聖武天皇の遺愛品を中心とする約9000件の多彩な宝物群として位置づけています。
本記事では、その中から知名度だけで順位をつけるのではなく、「正倉院とはどのような場所なのか」が見えてくる15件を選びました。
――海を越えた文化。宮廷の暮らし。音楽と芸能。遊び、祈り、香り、そして記録。
15の宝物を手がかりに、1300年前の奈良に残された世界をたどってみたいと思います。
※正倉院の成立、校倉造、北倉・中倉・南倉、勅封などについては【正倉院とは?|歴史・校倉造・宝物・勅封をわかりやすく解説】で詳しく紹介しています。
2.正倉院宝物とは
正倉院宝物の大きな起点となったのは、756年(天平勝宝8年)。聖武天皇の死後、光明皇后が天皇の遺愛品を東大寺の盧舎那仏に奉献しました。その際、献納された品々を記録した目録が《国家珍宝帳》です。
これを中心として、東大寺の法会に使用された仏具や楽器、寺院運営に関わる品々、文書、染織品などが加わり、現在の巨大な宝物群が形づくられていきました。
「シルクロードの終着点」という言葉も正倉院を語るときによく使われますが、正倉院宝物のすべてが西方や唐から運ばれてきたわけではありません。海外で作られた品もあれば、外国の器形や文様、技術を受け入れ、日本で作られたものもあります。
正倉院の面白さは、外国の珍品を集めたことだけではなく、世界各地から届いた文化が八世紀の奈良で混ざり合ったことにあります。
3.一度は見たい正倉院宝物15選
※公開履歴は、奈良国立博物館の正倉院展を中心に、確認できた近年の主な公開を掲載しています。東京での公開は、東京国立博物館などで開催された特別展への出陳です。すべての公開履歴を網羅するものではありません。
1.螺鈿紫檀五絃琵琶(北倉29)|世界で唯一残った古代の五絃琵琶
正倉院展での公開:1991年 → 2010年
東京での主な特別公開:2019年 御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」(東京国立博物館)
正倉院を代表する宝物を一つ挙げるなら、《螺鈿紫檀五絃琵琶》は外せないでしょう。
紫檀を用いた胴に螺鈿や玳瑁による華麗な装飾を施した五絃の琵琶で、『国家珍宝帳』にも記載されています。
現在一般に知られる琵琶が四絃であるのに対し、本品は五絃。奈良国立博物館も、世界で唯一現存する古代の五絃琵琶として紹介しています。2010年の第62回正倉院展でも代表的な宝物として出陳されました。
撥を当てる部分には、ラクダに乗って琵琶を奏でる人物が描かれています。
――西域から唐、そして奈良へ。
楽器一面を見るだけでも、文化が東へ移動してきた道筋が浮かび上がります。しかし、本来これは「見るため」の美術品ではありません。実際に弦を張り、音を鳴らすための楽器でした。
美しい姿は残りました。失われてしまったのは、この琵琶が響かせていた音です。
イメージイラスト:art-voyage作成 ※実物の再現図ではありません。
2.漆胡瓶(北倉43)|ペルシアから伝わった「形」
正倉院展での公開:1998年 → 2016年 → 2026年
東京での主な特別公開:2009年「皇室の名宝―日本美の華」、2019年「正倉院の世界」(ともに東京国立博物館)
把手の付いた細長い水差し《漆胡瓶》。その器形は西アジアに由来します。
表面には黒漆を塗り、銀の薄板によって植物や動物、山岳などを表しています。奈良国立博物館は、唐代に流行した技法が使用されていることから、唐からもたらされた可能性が高いとしています。
「シルクロードの宝物」と聞くと、ペルシアから完成品がそのまま日本まで運ばれてきたように想像してしまいます。しかし《漆胡瓶》から見えてくるのは、もっと複雑な文化の移動です。
西方で生まれた形が東へ伝わり、別の土地の技術と結びつき、さらに奈良へ届く。文化は、物とともに姿を変えながら移動していました。
2026年の第78回正倉院展にも出陳される宝物です。
出典:Wikimedia Commons(原典:『東瀛珠光』第1集、1908年)/Public Domain
3.白瑠璃碗(中倉68)|1300年前の透明なガラス
正倉院展での公開:1946年 → 1995年 → 2008年
東京での主な特別公開:2019年「正倉院の世界」(東京国立博物館)
透明なガラスに円形の切子を連続して施した《白瑠璃碗》。正倉院を代表するガラス器の一つです。
現代では透明なガラス製品は日常の中にあふれています。しかし八世紀の日本で、この器を初めて見た人々はどう感じたのでしょうか。
光が器の中を通り、切子の面で複雑に反射する。
「ガラスである」という知識だけではなく、1300年前の人々が目にした光まで想像したくなる宝物です。
そして公開履歴を見ても面白い一点です。第1回正倉院展が開催された1946年にも出陳され、その後1995年、2008年と公開され、再び公開されるまでに長い月日を経ています。
名品だからといって、毎年見ることができるわけではありません。
出典:Wikimedia Commons(原典:『東瀛珠光』第3集、1908年)/Public Domain
4.瑠璃坏(中倉70)|ガラスを「使う」
正倉院展での公開:1994年 → 2012年 → 2025年
深い紺色のガラスで作られた《瑠璃坏》。
脚の付いた小さな杯で、2025年の第77回正倉院展にも出陳されました。《白瑠璃碗》と並べると、同じガラスでも色も形もまったく違います。
現在は貴重な文化財ですが、本来は飲食のための器。誰かが手に取り、飲み物を注ぎ、その濃い青色を間近で見ていました。正倉院宝物を展示ケースの中の「名品」から、もう一度使われていた物へ戻してくれる一点です。
イメージイラスト:art-voyage作成 ※実物の再現図ではありません。
5.鳥毛立女屏風(北倉44)|失われた羽毛を想像する
正倉院展での公開:1999年(六扇)→ 2014年(第2・4・5・6扇)→ 2019年(六扇)
東京での主な特別公開:2014年「日本国宝展」(東京国立博物館・第1扇、第3扇)
樹下に立つ女性を描いた六扇一組の《鳥毛立女屏風》。
――豊かな身体、赤い唇、唐風の衣装。
一見すると中国から伝わった絵画のようにも見えますが、日本で制作された作品と考えられています。
最大の特徴は「鳥毛」の名が示すとおり、女性の衣服などにヤマドリの羽毛が貼られていたことで、現在は羽毛の多くが失われ、下絵が露出しています。
つまり私たちが現在見ている《鳥毛立女屏風》は、制作された当初の姿そのものではありません。
今は失われた羽毛を重ねて完成時の姿を想像する。
正倉院を見る楽しみには、残ったものから失われた姿を復元することも含まれています。
出典:Wikimedia Commons(1945年以前の古い複製)/Public Domain
6.平螺鈿背円鏡(北倉42)|世界の素材を一枚の鏡へ
正倉院展での公開:2013年 → 2025年
2025年の正倉院展でも紹介した《平螺鈿背円鏡》(第11号鏡)。
背面にはヤコウガイの螺鈿を中心として、トルコ石やラピスラズリなどが配されています。奈良国立博物館による分析では、鏡胎は唐代の銅鏡の標準的な組成と一致し、シルクロード各地の素材を用いて中国で制作され、日本へ伝えられたと考えられています。
ここでは、「どこから来た素材か」だけを見るのでは少し物足りません。
異なる地域から集まった貝や石を、一人の工人が一枚の鏡の中に組み上げる。世界の断片が、一つの文様になる。正倉院の国際性を象徴する宝物です。
イメージイラスト:art-voyage作成 ※実物の再現図ではありません。
7.木画紫檀双六局(北倉37)|聖武天皇も遊んだ
正倉院展での公開:1998年 → 2012年 → 2025年
紫檀、象牙、鹿角、竹などを組み合わせ、細かな文様を作り出した《木画紫檀双六局》。
聖武天皇ゆかりの双六盤です。
正倉院というと、「皇室の宝」「仏教の宝」といった荘厳な印象が先に立ちます。しかし、ここに残されているのは遊び道具です。
骰子を振る。駒を動かす。勝ったり負けたりする。
東大寺大仏を造立した聖武天皇にも、そうした時間がありました。正倉院宝物が残したのは、歴史上の人物の偉業だけではありません。
イメージイラスト:art-voyage作成 ※実物の再現図ではありません。
8.紅牙撥鏤碁子(北倉25)|数センチの碁石にも宿る美意識
正倉院展での公開:2005年 → 2026年
東京での主な特別公開:2019年「正倉院の世界」(東京国立博物館)
《紅牙撥鏤碁子》は、象牙を赤く染め、その表面を彫ることで白い地を出し、文様を表した碁石で、2026年の正倉院展では《紺牙撥鏤碁子》とともに公開されます。
直径はわずか1.5~1.7センチ。そこに鳥の文様を彫り、さらに一部には緑や黄色まで施しています。奈良博は、聖武天皇の四十九日に東大寺へ献納されたことが《国家珍宝帳》から確認できると説明しています。
遊び道具の碁石にまで、これほど細かな装飾を施す。そこから見えてくるのは、宮廷生活における「美しいものに囲まれて暮らす」という感覚です。
イメージイラスト:art-voyage作成 ※実物の再現図ではありません。
9.螺鈿紫檀阮咸(北倉30)|日本から消えた楽器
正倉院展での公開:1996年 → 2021年
東京での主な特別公開:2009年 御即位20年記念「皇室の名宝―日本美の華」(東京国立博物館)
円形の胴に長い頸を持つ《螺鈿紫檀阮咸》。
その名前は、中国・晋代の「竹林の七賢」の一人、阮咸に由来するとされています。現在の日本では、阮咸という楽器を見る機会自体がほとんどありません。しかし正倉院には、後世の日本から姿を消してしまった古代の楽器まで残っています。
楽器そのものは残った。しかし演奏法や響きのすべてが、そのまま伝わったわけではありません。
正倉院の楽器は、私たちに「失われた音」を想像させます。
イメージイラスト:art-voyage作成 ※実物の再現図ではありません。
10.彫石尺八(北倉34)|名前は同じでも、音楽は違う
正倉院展での公開:2015年
一見すると竹に見える《彫石尺八》。
しかし材質は蛇紋岩です。石を彫って三節の竹管を表し、その表面には草花、山岳、花喰鳥、蝶などが薄肉彫で表現されています。
2015年の第67回正倉院展では、対になると考えられる《彫石横笛》とともに公開されました。
「尺八」という名前を聞くと、現在の尺八を思い浮かべます。しかし奈良時代の楽器世界は、現在の伝統芸能とそのままつながっているわけではありません。
同じ名前の向こうに、今とは異なる音楽文化が存在していました。
イメージイラスト:art-voyage作成 ※実物の再現図ではありません。
11.伎楽面 酔胡王(南倉1)|人が「異国の王」になる
正倉院展での公開:1964年 → 2026年
正倉院には、楽器だけでなく古代の芸能そのものを伝える品々も残されています。その代表が伎楽面です。
2026年の第78回正倉院展に出陳される《伎楽面 酔胡王》は、当該面として1964年以来62年ぶりの公開となります。
酔胡王は、西アジアや中央アジアの王を思わせる人物。大きな面を人間が被り、装束を身につけ、従者を従えて酔った王を演じました。現在、この面は展示ケースの中に静かに置かれています。
しかし、かつてこの面の後ろには人間の身体がありました。
――歩き、踊り、別の存在になる。
伎楽そのものは後世に衰退し、古代の演技はそのままでは残りませんでした。面は残った。しかし、それを動かした身体は失われた。
《酔胡王》は、彫刻であると同時に、失われた舞台の痕跡でもあります。
イメージイラスト:art-voyage作成 ※実物の再現図ではありません。
※正倉院には「酔胡王」の名を持つ別個体も伝わるため、公開履歴を見る場合には倉番号などを確認する必要があります。
12.天平宝物筆(中倉35)|大仏に「目」を与えた筆
正倉院展での公開:1999年 → 2025年
東京での主な特別公開:2010年 光明皇后1250年御遠忌記念「東大寺大仏―天平の至宝―」(東京国立博物館)
長さ56センチを超える巨大な筆、《天平宝物筆》。
752年(天平勝宝4年)の東大寺大仏開眼法要で、開眼導師を務めたインド僧・菩提僊那が筆を執り、大仏の眼を点じるために用いたとされる筆です。
さらに筆管に刻まれた銘文から、文治元年(1185)の再興大仏の開眼法要では、後白河法皇もこの筆を使用したことが分かっています。
通常、筆は文字を書くための道具です。しかしこの巨大な筆は、大仏に最後の瞳を入れ、仏として完成させる開眼という国家的な儀礼に使われました。
一本の筆が、時代を隔てた二度の大仏開眼をつないでいる。
正倉院には、日常の道具と聖なる道具の境界にあるものも残されています。
イメージイラスト:art-voyage作成 ※実物の再現図ではありません。
13.国家珍宝帳(北倉158)|物だけでなく「記録」が残った
正倉院展での公開:2006年
東京での主な特別公開:2019年「正倉院の世界」(東京国立博物館)
華麗な螺鈿も、透明なガラスもありません。それでも正倉院を理解するうえで、《国家珍宝帳》は絶対に外せません。
756年、光明皇后が聖武天皇の遺愛品を東大寺大仏へ奉献した際に作られた目録です。現在残る宝物の多くを「聖武天皇ゆかりの品」と特定できるのは、この記録が残ったからです。
正倉院の奇跡は、古い物が残ったことだけではありません。
その品と、それが何であったのかを示す記録が一緒に残ったことが重要であり、これがあることで、展示ケースの中の物は1300年前の具体的な人間や出来事へつながります。
出典:Wikimedia Commons(原典:『東瀛珠光』、1924年再版)/Public Domain
14.黄熟香「蘭奢待」(中倉135)|奈良時代のあとにも歴史は続いた
正倉院展での公開:1997年 → 2011年 → 2025年
東京での主な特別公開:2019年「正倉院の世界」(東京国立博物館)
巨大な香木《黄熟香》。一般には「蘭奢待」の名で知られています。
足利義政や織田信長をはじめ、後世の権力者が切り取ったことでも有名です。《黄熟香》が面白いのは、正倉院の歴史が奈良時代だけでは終わらないことを示している点です。
八世紀の宝庫に中世・近世の人物が入り、その宝物に新しい歴史を付け加えていく。
正倉院には、1300年前の時間だけではなく、その後の1300年間も積み重なっています。
出典:Wikimedia Commons(原典:『東瀛珠光』第3集、1908年)/Public Domain
15.金銀鈿荘唐大刀(北倉38)|武器にも美は必要だった
正倉院展での公開:1990年 → 2011年
東京での主な特別公開:1997年 特別展「日本のかたな―鉄のわざと武のこころ―」(東京国立博物館)
最後は《金銀鈿荘唐大刀》。
正倉院には楽器やガラス器、遊び道具だけでなく、武器や武具も数多く残っています。
この《金銀鈿荘唐大刀》は、儀式用の大刀で、全長は99.9センチ。刀は本来、武器です。しかし同時に、身につける者の権威や格式を表すものでもありました。
――実用品であり、工芸品でもある。
一つの物を「美術」「生活」「権力」と分けてしまわなかった古代の感覚を考える入口になる宝物です。
出典:Wikimedia Commons(原典:『正倉院御物図録』第4輯、1932年)/Public Domain
4.有名な正倉院宝物は何年に一度見られる?
正倉院展は毎年開催されています。しかし、同じ宝物を毎年見ることができるわけではありません。近年の公開履歴をいくつか並べてみると、そのことがよく分かります。
《木画紫檀双六局》は、1998年 → 2012年 → 2025年と14年、13年間隔。
《瑠璃坏》は、1994年 → 2012年 → 2025年と18年、13年間隔。
《黄熟香》は、1997年 → 2011年 → 2025年と14年、14年間隔。
一方、《鳥毛立女屏風》六扇が揃った公開は1999年から2019年まで20年。《紅牙撥鏤碁子》は2005年から2026年まで21年。《天平宝物筆》は奈良では1999年から2025年まで26年空きました。
さらに、2026年に公開される《伎楽面 酔胡王》の当該面は1964年以来、実に62年ぶりです。
ここから「正倉院宝物は○年ごとに公開される」という規則を導くことはできません。宝物の保存状態、調査や修理、展覧会全体の構成などによって、出陳される品は変わります。
ただ、一つだけ言えることがあります。
正倉院展は毎年ある。しかし、その宝物に次いつ会えるかは分からない。
正倉院展で一つの宝物を見ることは、思っている以上に一期一会なのです。
5.15の宝物から見える正倉院
ここまで紹介した15件を、もう一度「物」ではなく、人間の行為から見てみます。
《白瑠璃碗》《瑠璃坏》を使い、飲む。
《漆胡瓶》から注ぐ。
《鳥毛立女屏風》を立て、空間を飾る。
《平螺鈿背円鏡》に姿を映す。
《木画紫檀双六局》《紅牙撥鏤碁子》で遊ぶ。
《五絃琵琶》《阮咸》《尺八》を奏でる。
《酔胡王》を身につけ、演じる。
《天平宝物筆》で儀礼を行う。
《金銀鈿荘唐大刀》を佩き、権威を示す。
《黄熟香》の香りを聞く。
《国家珍宝帳》に記録する。
正倉院に残ったのは、「美しいもの」だけではありません。物を使って生きた人間の営みまで、その向こう側に残されています。だから正倉院宝物は、単なる古代美術のコレクションではないのでしょう。
世界の各地から文化を受け入れ、それを奈良の中で使い、遊び、奏で、祈り、記録した人々。
その生活の断片が、一つの宝庫の中で1300年近く守り続けられてきました。毎年の正倉院展で公開されるのは、その巨大な世界のほんの一部です。今年出会った宝物に、次にいつ会えるのかは分かりません。
しかし、一点の器、一面の楽器、一枚の記録からでも、八世紀の奈良へ入っていくことはできます。正倉院とは、過去を閉じ込めた倉ではありません。
1300年前の人々が生きた時間を、物という形で現在までつないだ場所。
15の宝物を入口に、その世界を少しずつたどってみてください。
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