王家でたどるヨーロッパ近世美術史⑥|王冠のゆくえ

王冠は、国によって違う運命をたどった

前回は、ロココの華やかさと、マリー・アントワネットをめぐる宮廷イメージを見てきました。

ポンパドゥール夫人の肖像には、宮廷の趣味を動かす女性の力がありました。フラゴナール《ぶらんこ》には、遊びとして洗練された宮廷の欲望がありました。ヴィジェ=ルブランが描いたマリー・アントワネットの肖像には、王妃を母として見せようとする、危ういイメージ戦略がありました。

けれど、これらの美術は社会の矛盾を消すことまではできませんでした。

そして18世紀末、フランス革命が起こります。王家の身体は、もはや絶対的な権威として人々を納得させることができなくなっていきました。

ただし、この革命は、ヨーロッパの王家を一度に消し去ったわけではありません。

王冠は、国によって違う運命をたどっていきます。

――ある王家は、古い帝国を失いながらも、別の帝国として生き残りました。
――ある王家は、肖像画の中でかつての威厳を失いはじめました。
――ある国では、王家ではない人物が皇帝となり、新しい正統性を作ろうとしました。
――そしてある国では、王政は倒れないまま、君主が近代的に「見られる存在」へと変わっていきました。

今回は、オーストリア・ハプスブルク家、スペイン王家、ナポレオン、そしてイギリス王家を通して、革命とナポレオンの時代に、王冠の意味がどのように変わっていったのかを見ていきます。

ひとつの家族に、王冠の未来が描かれる

マルティン・ファン・マイテンス《1755年の皇帝一家の肖像》

まず見ておきたいのは、オーストリア・ハプスブルク家の家族肖像です。

マルティン・ファン・マイテンス《1755年の皇帝一家の肖像》マルティン・ファン・マイテンスが描いた《1755年の皇帝一家の肖像》には、神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジア、そして多くの子どもたちが描かれています。

現代の目で見ると、画面の人物たちは少し似通った顔立ちにも見えるかもしれません。けれど、それこそがこの作品の意味でもあります。ここで描かれているのは、個性豊かな家族写真というより、ハプスブルク家という血脈そのものだからです。

王家にとって、子どもたちは単なる家族ではありませんでした。彼らは、未来の皇帝であり、王妃であり、他国の王家と結びつく婚姻外交の担い手でもありました。

この作品の中には、のちの神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世とマリー・アントワネットも描かれています。

ヨーゼフ2世は1741年生まれ、マリー・アントワネットは1755年生まれ。二人の間には14歳の年齢差がありました。画面中央で赤い礼服を着て立っている少年が、のちのヨーゼフ2世です。すでに王朝の未来を担う人物として、はっきりとした存在感を与えられています。

一方、マリー・アントワネットは生まれたばかりでした。画面中央、小さな金の椅子の後方に見える金のゆりかごに収まっている赤ちゃんが、のちにフランス王妃となる彼女です。この時点では、彼女がフランス王家へ嫁ぎ、革命の時代に大きな運命を背負うことを、見る者はまだ知りません。

しかし後から振り返ると、この一枚は不思議な重みを持ちます。

兄ヨーゼフ2世は、王権を使って国家を改革しようとする啓蒙専制君主になります。一方、妹マリー・アントワネットは、ハプスブルク家とブルボン家を結ぶ婚姻外交の中でフランス王妃となり、ロココ的な宮廷文化の最後の象徴のひとりとなります。

同じハプスブルク家に生まれながら、二人はまったく異なるかたちで、18世紀ヨーロッパ王家のゆくえを背負っていきました。

ハプスブルク家は、血脈と婚姻によってヨーロッパを結ぶ王朝でした。けれど、フランス革命とナポレオン戦争の時代を経て、古い神聖ローマ帝国は終わりを迎えます。

それでも、ハプスブルク家そのものがすぐに消えたわけではありません。

――古い帝国は終わる。けれど王朝は、別の帝国として生き残る。

この作品に描かれた大きな家族は、王家が血脈によって未来をつなごうとした時代をよく示しています。

王家の肖像が、威厳を失いはじめる

フランシスコ・デ・ゴヤ《カルロス4世の家族》

次に見るのは、スペイン王家です。

フランシスコ・デ・ゴヤ《カルロス4世の家族》フランシスコ・デ・ゴヤが描いた《カルロス4世の家族》には、スペイン王カルロス4世とその家族が描かれています。

画面の人物たちは、豪華な衣装をまとい、勲章や宝飾品を身につけています。王家の肖像として、必要なものはすべてそろっているように見えます。けれど、この絵には、ルイ14世の肖像にあったような圧倒的な威厳はありません。

第4回で見たリゴー《ルイ14世の肖像》では、王の身体そのものが国家の顔になっていました。

――青いマント、百合紋、かつら、剣、堂々としたポーズ。

そこでは、王を見ることが、そのまま国家の権威を見ることにつながっていました。

しかし、ゴヤの《カルロス4世の家族》では、王家はたしかに豪華に描かれているものの、どこか生々しく、神聖な距離が失われているように見えます。

王家はまだ画面の中心にいます。けれど、その肖像は、もはや王権の安定を十分に保証してはいません。

この作品が面白いのは、ゴヤが宮廷画家として王家を描いているにもかかわらず、単なる賛美に見えないところです。

王家を華やかに描きながら、その人物たちの表情や立ち姿には、人間としての重さやぎこちなさが残されています。

それは、王家を否定する絵ではありません。しかし、王家を神話化しきれない絵ではあります。

スペイン王家は、この後、ナポレオンの介入によって大きく揺らぐことになります。王位は混乱し、スペインは戦争と政治的混乱に巻き込まれていきます。

――王冠は残る。けれど、その威厳は深く傷つく。

ゴヤ《カルロス4世の家族》は、王家の肖像が、もはや絶対的な権威のイメージではなくなっていく時代を示しているように見えます。

革命から生まれた皇帝

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》

フランスでは、王冠の運命はさらに劇的でした。

フランス革命によって、ブルボン家の王権は崩れます。ルイ16世とマリー・アントワネットは処刑され、王の身体が神聖なものとして扱われてきた時代は、決定的に終わりを迎えました。

しかし、王が消えたあと、権力のイメージそのものが消えたわけではありません。
その空白に現れたのが、ナポレオン・ボナパルトでした。

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》は、ナポレオンが皇帝として自らの権力を見せるための巨大な絵画(6.21 m × 9.79 m)です。

ここにいるのは、王家の血脈によって生まれた王ではありません。革命と戦争の中から現れ、軍事的成功と政治的手腕によって頂点へ上り詰めた人物です。けれど、ナポレオンもまた、自分の権力を自然なものとして人々に見せる必要がありました。

そのために、戴冠式という儀礼があり、豪華な衣装があり、壮大な空間があり、そしてダヴィッドの絵画がありました。王家を倒した時代から生まれた権力者も、結局は美術の力を必要としたのです。

ここで重要なのは、ナポレオンが単に「新しい人物」だっただけではないことです。
彼は、王家の血に頼らない新しい皇帝でした。

しかし同時に、皇帝である自分を古代ローマやキリスト教的な儀礼、宮廷的な壮麗さの中に置き直そうとしました。

――血脈ではなく、功績によって頂点に立つ。

けれど、その功績を永続する権威に変えるためには、やはり王冠に似たものが必要になる。

ナポレオンの戴冠式は、王家の時代が終わったあとにも、人々がなお「見える権威」を求めていたことを示しています。

王冠は残り、君主は見られる存在になる

トマス・ローレンス《ジョージ4世の戴冠式肖像》

一方、イギリスでは、フランスのように王政が倒れたわけではありません。

イギリス王家は、革命とナポレオンの時代をくぐりながらも、王冠を保ち続けました。しかし、それは絶対王政がそのまま残ったという意味ではありません。

イギリスでは、1688年の名誉革命以降、議会政治が大きな力を持っていました。王は国家を一人で支配する存在ではなく、政治制度の中で位置づけられる君主になっていきます。

トマス・ローレンス《ジョージ4世の戴冠式肖像》トマス・ローレンスが描いた《ジョージ4世の戴冠式肖像》を見ると、そこには華やかな君主の姿があります。

衣装は豪華で、ポーズも堂々としています。けれど、そこにあるのはルイ14世のような絶対的な支配者の身体というより、近代社会の中で人々に見られる君主の姿です。

フランスでは、王の身体が革命によって否定されました。しかしイギリスでは、王の身体は否定されるのではなく、政治権力の中心から少しずつ離れていきます。

王は国家を動かす絶対的な主人ではなく、国家の歴史や儀礼を担う象徴として見られるようになっていきました。

――王冠は残りました。

けれど、その王冠は、近代的な議会政治と世論の中で、かつてとは違う意味を持つようになっていきました。

君主は、国家を直接支配する身体から、国家を象徴し、儀礼を担い、国民に見られる存在へと変わっていきます。

王冠のゆくえと、美術館への道

18世紀末から19世紀初頭にかけて、ヨーロッパの王家はすべて同じ運命をたどったわけではありません。

――オーストリア・ハプスブルク家は、古い神聖ローマ帝国を失いながらも、別の帝国として生き残りました。
――スペイン王家は、王冠を保ちながらも、ナポレオンの時代に大きく揺らぎました。
――フランスでは、ブルボン家が倒れ、王家ではないナポレオンが皇帝となりました。
――イギリスでは、王政は倒れずに残りましたが、君主は近代的に「見られる存在」へと変わっていきました。

王冠は、消えたのではありません。
倒れ、戻り、傷つき、形を変えながら、それぞれの国で違う運命をたどったのです。

そして、その変化の中でも、美術は重要な役割を持ち続けました。
王家は、美術によって血脈を示し、威厳を演出し、正統性を作り、近代的な君主イメージを形づくろうとしました。

しかし、近代になると、美術そのものの居場所も変わっていきます。

王家のために作られた美術、王家が集めた美術、宮殿を飾っていた美術は、やがて美術館へと移っていきます。

次回、最終回では、ルーヴル美術館、プラド美術館、ウフィツィ美術館、ウィーン美術史美術館などを通して、王家が残した美術が、どのように近代の美術館へ受け継がれていったのかを見ていきます。

王家のための美術は、やがて市民の前に置かれることになります。

図版情報

マルティン・ファン・マイテンス《1755年の皇帝一家の肖像》ヴェルサイユ宮殿美術館蔵、ヴェルサイユ/Public domain

フランシスコ・デ・ゴヤ《カルロス4世の家族》プラド美術館蔵、マドリード/Public domain

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》ルーヴル美術館蔵、パリ/Public domain

トマス・ローレンス《ジョージ4世の戴冠式肖像》ロイヤル・コレクション蔵、イギリス/Public domain


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