ハプスブルク、宗教改革、そして揺らぐキリスト教世界
前章で見たルネサンス時代のフィレンツェでは、美術は都市の誇りとメディチ家の権力を美しく見せるために使われました。
16世紀に入ると、その舞台はさらに大きく広がっていきます。都市から帝国へ、銀行家から皇帝へ、教養の表現から信仰と正統性をめぐる争いへ。
この時代のヨーロッパを大きく揺るがしたのが、宗教改革でした。
それまで西ヨーロッパのキリスト教世界は、ローマ教皇を中心とするひとつの秩序のもとにあると考えられていましたが、1517年、マルティン・ルターが教会批判を展開すると、その秩序は大きく裂けていきます。
――信仰は誰のものなのか、
――教皇の権威は絶対なのか、
――王や皇帝は教会とどのような関係を結ぶべきなのか。
この問いは神学論争にとどまらず、王家、皇帝、諸侯、教皇庁を巻き込む政治的な争いへと広がっていきます。
この時代の美術は、ただ美しいものを描いたのではありません。
――誰が正しい信仰を守っているのか、
――誰が神の前で正統な支配者なのか。
その問いにイメージで答えようとしたのです。
――皇帝に仕えた画家、
――宗教改革に顔を与えた宮廷画家、
――王の身体を政治的なイメージへ変えた画家、
――教皇庁の依頼を受けながら信仰の不安まで描き込んだ巨人。
16世紀の美術は、権力者と芸術家の関係を通して、ヨーロッパの分裂を可視化していきました。
皇帝の威光を描く
16世紀のヨーロッパで、もっとも巨大な権力を背負った支配者のひとりが、ハプスブルク家のカール5世でした。
神聖ローマ皇帝でありスペイン王でもあった彼の支配圏は、神聖ローマ帝国(現ドイツ、オーストリアを中心とする地方)、スペインはもちろん、ネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー周辺)、イタリア、そして新大陸にまで及びました。しかし、その帝国は決して安定していたわけではありません。
彼の支配した時代、神聖ローマ帝国ではルター派が広がり、帝国内の諸侯たちは信仰と政治の両面で皇帝に対抗していきました。宗教改革は、教会だけでなく帝国そのものを分裂させる力を持っていたのです。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《騎馬姿のカール5世》
そうした中で描かれたのが、イタリアのヴェネツィア派の巨匠、ティツィアーノの《騎馬姿のカール5世》です。甲冑をまとい馬に跨がる彼の姿は、単なる君主ではなく、帝国そのものを背負う存在として表しています。ヴェネツィア派の豊かな色彩と、古代ローマの騎馬像を思わせる構成によって、彼は「キリスト教世界の秩序を守る皇帝」として立ち上がっています。
彼の支配する帝国はあまりにも広大でした。皇帝ひとりの身体ですべてを覆い尽くすことは困難で、カール5世は生涯、各地を移動し続けていました。
――だからこそ、肖像画が重要でした。
皇帝本人が不在の場所であっても、肖像画のイメージは彼の威光を示し続ける。移動を続ける皇帝に対して、絵画は固定された皇帝像となり、帝国の中心がどこにあるのかを人々に思い出させたのです。
この肖像は、単なる戦勝記念ではありません。宗教改革によって揺らぐヨーロッパに対して、「帝国には、なお中心がある」と見せるためのイメージ戦略でした。彼にとって美術は、勝利の記録であるだけではなく、皇帝本人のいない場所でも帝国を支えるもうひとつの身体だったのです。
宗教改革が「顔」を持つ|クラーナハ《マルティン・ルターの肖像》
カール5世が帝国の威光を描かせていたころ、ヨーロッパ各国にはまったく別のイメージが広がっていました。《マルティン・ルターの肖像》です。
ルーカス・クラーナハ(父)工房《マルティン・ルターの肖像》
ルターは、王でも皇帝でもありません。神聖ローマ帝国の修道士であり、神学者でした。しかし彼の言葉は、当時普及しはじめた印刷技術にのって急速に各地に広がり、ヨーロッパ全土の信仰のかたちを大きく変えていきます。
その中で重要な役割を果たしたのが、ルーカス・クラーナハです。神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯の宮廷画家でありながら、ルターと個人的にも近い関係にある、宗教改革の視覚的な広がりを支えた人物でした。
ルターの肖像画には、王冠も甲冑も宮廷的な装飾もありません。そこにあるのは、ひとりの人間の顔です。しかし、この「顔」が重要でした。
彼の思想を目で見ることはできません。けれどその肖像画は人に彼の表情を知らせました。人々は彼の文章を読み、この肖像画を見ることで、「この人が教会に異議を唱えているのだ」と理解しました。クラーナハの描いたルターの肖像は、宗教改革に視覚的な人格を与えたのです。
皇帝の肖像画が宮廷で威厳を示す一点もののイメージだったとすれば、ルターの顔は、印刷と複製によって広がるイメージでした。豪華さでは皇帝の肖像にかないません。しかし数と広がりにおいては、宮廷の肖像画とは比べものになりませんでした。
やがて人々の信仰と政治意識に入り込んでいったルターの顔は、新しい信仰の象徴になっていきます。肖像画はここで、宮廷内の飾りというだけではなく、その人物の思想を広めるメディアとしての役割も担うようになっていきます。
それは、帝国の外側から皇帝の権威を揺さぶる、新しいイメージの力でした。
王が教皇から独立する|ホルバイン《ヘンリー8世像》
宗教改革の波は、海を挟んだ島国のイングランドにも大きな変化をもたらしました。その中心にいたのが、ヘンリー8世です。
もともと彼は熱心なカトリック王として知られていましたが、王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの婚姻問題をめぐってローマ教皇と対立し、新たにイングランド国教会を創設し、その首長として自らを位置づけていきます。
しかしここで忘れてはいけないのは、この対立が信仰だけの問題ではなかったことです。
王妃を替え、教皇と縁を切ってまで彼が求めたものは、テューダー朝を未来へ残すための後継者でした。血脈を巡る問題が、信仰の分裂と深く結びついていたのです。
ハンス・ホルバイン(子)に基づく《ヘンリー8世像》
ホルバインの《ヘンリー8世像》では、王は正面を向き、堂々と立っています。
広い肩幅、豪華な衣装、強い視線。神や教皇に従属する王ではなく、自らが国家と教会の中心であると示す王の姿があります。ホルバインは王の身体を、見る者を圧倒する政治的なイメージへ変えました。この肖像画の迫力は、容姿の記録ではありません。王の身体そのものが、政治的な宣言になっています。
カール5世が「帝国の守護者」として描かれたのに対し、ヘンリー8世は「自国の教会をも支配する王」として描かれました。信仰の分裂は、王権のあり方そのものを変えていくきっかけにもなりました。
教皇庁の危機と終末感|ミケランジェロ《最後の審判》
宗教改革によって大きく揺さぶられたのは、王や皇帝だけではありません。ローマ教皇庁もまた、その危機の中にありました。
その危機を壮大なかたちで映し出した作品が、ミケランジェロの《最後の審判》です。
ミケランジェロ・ブオナローティ《最後の審判》
この作品は、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の祭壇壁を覆う巨大な壁画です。そこには、再臨するキリスト、救われる者、地獄へ落ちる者たちが、激しい身体表現によって描かれています。
静かに祈るための絵というより、見る者を圧倒し、震えさせる絵です。
ミケランジェロは教皇庁の依頼を受けてこの壁画を描きましたが、教皇庁の権威を単純に讃えたわけではありません。そこにあるのは、救いと裁き、肉体の美しさと滅び、信仰の確信と不安がせめぎ合う世界です。ルネサンス初期の明るく調和した人間像とは違い、身体はねじれ、落下し、裁かれています。
なぜこの時代に、このような絵が必要だったのでしょうか。
それは、教皇庁が自らの権威を問い直されていたからで、宗教改革によって批判を受け、1527年のローマ略奪によって大きな衝撃を受けた教皇庁は、最終的にすべての人間が神の前で裁かれるという圧倒的なイメージによって、信仰の根源へ人々を引き戻そうとしました。
作品は、その権力者が望んだ以上の時代の不安まで描いてしまうことがあります。《最後の審判》は、まさにそのような作品でした。
分裂するヨーロッパと、美術の役割
今回、見てきた作品は、どれも異なる地域で生まれました。
ヴェネツィアのティツィアーノは、移動し続ける皇帝に固定された威光のイメージを与え、神聖ローマ帝国のクラーナハは、宮廷画家でありながら印刷と複製によって宗教改革の顔を広めました。またイングランドのホルバインは、王の身体を国家と教会と血脈の中心として見せ、ローマのミケランジェロは、教皇庁の依頼を受けながら、信仰の不安まで描き込みました。
ここにあるのは、ひとつのヨーロッパではありません。
皇帝のヨーロッパ、宗教改革のヨーロッパ、教皇から離れていく王のヨーロッパ、危機の中で権威を守ろうとする教皇庁のヨーロッパ。
16世紀の美術は、この分裂を映し出しています。
権力者は画家を必要としました。しかし画家は、権力者が望んだ以上の時代の空気まで描いてしまいます。だからこそ、この時代の美術は面白いのです。
この宗教と権力の緊張は、やがて17世紀の宮廷美術へとつながり、王妃は自らの人生を神話に変え、宮廷画家は王のまなざしを描き、肖像画は王権の優雅な演出へと変わっていきます。
図版情報
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《騎馬姿のカール5世》プラド美術館蔵、マドリード/Public domain
ルーカス・クラーナハ(父)工房《マルティン・ルターの肖像》ウフィツィ美術館蔵、フィレンツェ/Public domain
ハンス・ホルバイン(子)に基づく《ヘンリー8世像》ウォーカー・アート・ギャラリー蔵、リヴァプール/Public domain
ミケランジェロ・ブオナローティ《最後の審判》システィーナ礼拝堂、ヴァチカン/Public domain


