浮世絵が描いたのは、歌舞伎役者や遊女だけではありません。
江戸後期になると、絵師たちは女性の顔へ近づき、わずかな目や口の動きから感情を読み取ろうとしました。一方では、細く長い女性の全身と、人物同士が作る静かな空間も描かれます。
さらに浮世絵の視線は、人間から自然へ広がりました。
山、波、滝、花、鳥、動物、働く人々、妖怪。
目に見えるものだけでなく、水や風の動きまで、浮世絵の主題となっていきます。
第3回で取り上げるのは、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、葛飾北斎の三人です。
歌麿は、女性の顔を大きく描き、視線や口元、指先のわずかな違いから、その人の感情を表しました。
栄之は、細く引き伸ばされた女性の全身と、抑制された色彩によって、歌麿とは異なる静かな美人画を作りました。
そして北斎は、人物、風景、動植物、自然現象、怪異まで、世界に存在するあらゆるものを描こうとしました。
三人の作品を並べると、浮世絵の視野が、一人の女性の顔から、都市の空間、そして世界全体へ広がっていく様子が見えてきます。
この記事で見る時代:江戸後期(18世紀末〜19世紀前半)
この記事で見る流れ:女性の顔と感情を描く歌麿 → 静かな全身像を作る栄之 → 森羅万象へ視野を広げる北斎
江戸後期、浮世絵は「顔」と「世界」を発見する
江戸時代の美人画には、遊女や芸者、町で評判となった女性たちが描かれました。
初期の美人画では、女性は必ずしも特定の個人として描かれていたわけではありません。美しい着物をまとった姿や、季節の行事を楽しむ様子を通して、当時の理想的な女性像が表されました。
しかし18世紀末になると、絵師たちは女性の顔や身体を、さらに細かく描き分けるようになります。
――どのような目をしているのか。
――口元には何が表れているのか。
――手をどこへ置き、首をどのように傾けているのか。
わずかな仕草から、女性の感情や性格を想像させる美人画が生まれました。
同じ頃、版画の構図も広がっていきます。
顔を画面いっぱいに描く大首絵が作られる一方、三枚、五枚の紙を横につなぎ、複数の人物と周囲の風景を描く続絵も発達しました。
そして19世紀に入ると、浮世絵の主要な題材は、人物だけではなくなります。
旅や名所への関心が高まり、風景そのものを主役にした作品が人気を集めます。そこでは、富士山や滝だけでなく、自然の中で働き、移動する小さな人間の姿も描かれました。
浮世絵は、人間を見る絵であると同時に、人間を取り巻く世界を見る絵へ変わっていったのです。
喜多川 歌麿|女性の顔から感情を描いた絵師
喜多川歌麿は、18世紀末を代表する美人画の絵師です。
活動初期には、版本の挿絵や役者絵、鳥や虫を描いた作品など、幅広い仕事を手がけました。歌麿の才能を見いだし、その活動を支えた版元の一人が、蔦屋重三郎です。
蔦屋重三郎は、歌麿の狂歌絵本や美人大首絵を出版し、歌麿を時代を代表する浮世絵師へ押し上げました。
歌麿以前にも、多くの絵師が美しい女性を描いています。
しかし歌麿は、女性の姿を単に美しく整えるだけではありませんでした。顔を画面いっぱいに拡大し、目、眉、口、首、手の動きから、女性が何を感じているのかを想像させました。
歌麿が描いたのは、美しい女性の外見だけではありません。
外見からわずかに漏れ出す、心の動きだったのです。
喜多川歌麿を見るポイント
- 目、眉、口元のわずかな違いを見る
- 指や首の角度から、女性の感情を想像する
- 背景を省いたことで、何が強く見えるようになったかを考える
《歌撰恋之部 物思恋》|美人画の中に、考える時間を描く
《歌撰恋之部 物思恋》では、一人の女性が頬の近くへ手を添え、視線を斜め上へ向けています。
画面には、彼女が誰を思っているのか、何が起きたのかを示す背景や物語は描かれていません。それでも、首の傾き、力の抜けた指、遠くを見るような目から、女性が何かを考えていることが伝わります。
口元は大きく動かず、感情は表面へ激しく現れていません。
だからこそ、見る者は彼女の内面を想像します。
――恋しい人を待っているのか。
――会えない相手を思い出しているのか。
――それとも、自分の気持ちを整理しようとしているのか。
作品名の「物思恋」は、思いに沈む恋を意味します。歌麿は、恋の出来事そのものを描かず、恋する人の中に流れる静かな時間を、美人画へ変えました。大首絵によって顔へ近づいたことで、目線や指のわずかな動きが、画面全体の意味を持つようになったのです。
画像:喜多川歌麿《歌撰恋之部 物思恋》1793〜94年頃、ボストン美術館蔵(Public Domain)
《婦女人相十品 ポッピンを吹く女》|一瞬の仕草を捉える
《婦女人相十品 ポッピンを吹く女》では、女性がガラス製の玩具を口にくわえています。
ポッピンは、息を吹き込んだり吸ったりすると、薄いガラスの底が音を立てる玩具です。女性の口は小さくすぼめられ、片手は口元へ添えられており、着物の大きな市松模様と、頬の横に置かれた小さなポッピンが対照的です。
《物思恋》では、動かない女性の内面が描かれていました。それに対し、この作品が捉えているのは、ごく短い一瞬です。
――息を吹き込む口。
――わずかに膨らむ頬。
――玩具をつまむ指先。
歌麿は、女性の顔を理想的に整えるだけでなく、日常の中で一瞬だけ現れる表情や身体の動きを観察しました。
作品が《婦女人相十品》というシリーズに含まれる点も興味深いところです。「人相」という言葉が示すように、顔や姿から、その人の性格や性質を読み取ろうとする視線がありました。
しかし歌麿の女性たちは、固定された性格の見本というよりも、見るたびに異なる感情を想像させます。一人ひとりの表情と仕草が、美人画の中に時間を作っているのです。
画像:喜多川歌麿《婦女人相十品 ポッピンを吹く女》1792〜93年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
《寛政三美人》|町の女性をスターへ変える
《寛政三美人》には、当時の江戸で評判を集めた三人の女性が描かれています。中央上部が富本豊雛、右下が難波屋おきた、左下が高島おひさです。
三人とも、細い目、小さな口、なだらかな輪郭を持ち、一見するとよく似ています。けれども、顔の形、眉の位置、目の角度、髪形を比べると、それぞれに違いがあります。
江戸の人々は、店先や芸能の場で評判となった女性たちの名前と顔を知っていました。
現代の私たちには似た顔に見えても、当時の観客は、
――あれは難波屋のおきただ。
――こちらは高島屋のおひさだ。
と見分けて楽しんだのでしょう。
歌麿の美人画は、匿名の理想美だけを描いたものではありません。町で評判となった女性を選び、その顔を版画として流通させることで、新しいスターを作り出す働きも持っていました。
後の役者絵が歌舞伎役者の人気を広げたように、歌麿の美人画も、江戸の女性たちの評判をさらに大きくするメディアだったのです。
画像:喜多川歌麿《寛政三美人》1793年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
歌麿と規制|名前を描けなくても、個人を描く
歌麿が美人大首絵を制作した寛政期には、幕府による出版統制が強められました。町で評判となった女性の名前を、版画に直接記すことも規制の対象となります。しかし、絵師や版元は、名前に関係する絵や記号を組み合わせた判じ絵を使い、女性が誰なのかを示しました。
――規制によって名前を隠されても、読者が見れば誰かわかる。
その状況は、美人画がすでに匿名の女性像ではなく、実在する個人の人気と結びついていたことを示しています。
歌麿は晩年、豊臣秀吉とその妻たちの遊興を描いた《太閤五妻洛東遊観之図》を刊行したことで、幕府の禁令に触れ、処罰を受けたとされています。
美人大首絵に対する規制と、この晩年の処罰は別の出来事ですが、どちらにも、浮世絵が単なる娯楽ではなく、人の評判や歴史の解釈を広く流通させる力を持っていたことが表れています。
歌麿は、美しい女性を描いただけではありません。
――誰を見るのか。
――その人をどのように記憶するのか。
――顔から何を読み取るのか。
美人画を、人間そのものを見るための絵へ変えたのです。
鳥文斎 栄之|女性を静かな全身像へ変えた絵師
鳥文斎栄之は、1756年に旗本の家に生まれました。
本名を細田時富といい、将軍に仕える武士の身分を持ちながら、浮世絵を制作した異色の経歴を持つ人物です。
初期には鳥居清長の影響を受け、細く長い女性の全身像を描きました。同時代の歌麿が女性の顔へ近づいたのに対し、栄之は少し離れた位置から女性を眺めます。
画面の中には、頭から足元までの全身が置かれます。女性たちは感情を激しく表さず、ゆっくりと立ち、座り、互いに言葉を交わしています。
栄之が作ったのは、歌麿とは異なる美しさでした。
顔の表情ではなく、身体の線、衣装の重なり、人物同士の距離によって生まれる、静かで洗練された美人画です。
鳥文斎栄之を見るポイント
- 現実より細く引き伸ばされた身体の比率を見る
- 顔だけでなく、着物が作る長い線を見る
- 人物同士の距離が、画面にどのような静けさを与えるかを見る
《六歌仙 大伴黒主》|細く引き伸ばされた女性像
《六歌仙 大伴黒主》では、一人の女性が、風景の見える座敷に立っています。
女性の身体は、現実の人体よりも細く長く引き伸ばされており、頭は小さく、肩幅は狭く、着物の裾まで続く縦の線が、人物をさらに高く見せています。
歌麿の大首絵では、顔や手が画面を支配しました。それに対して栄之の作品では、顔は全身を構成する一部分です。
まず目に入るのは、黒い着物が作る大きな縦の形と、床へ静かに伸びる衣装の線でしょう。女性の表情には、強い喜びや悲しみは見えません。身体も大きく動かず、立ち姿そのものが画面の中心となっています。
栄之は、女性の感情を顔へ集中させるのではなく、身体全体から静かな気品を作りました。「十二頭身」と表現されることもあるほど細長い女性像ですが、重要なのは正確な頭身ではありません。人体を意図的に引き伸ばし、現実の女性とは異なる、栄之独自の理想像を作り上げています。
画像:鳥文斎栄之《六歌仙 大伴黒主》1789〜90年頃、シカゴ美術館蔵(CC0)
《風流やつし源氏 若菜上》|古典文学を江戸の女性へ置き換える
《風流やつし源氏 若菜上》は、『源氏物語』の世界を、江戸時代の人物や風俗へ置き換えた作品です。こうした表現は「やつし」と呼ばれます。
古典文学の登場人物をそのまま描くのではなく、同時代の衣装や生活空間へ移し替え、見る者に元の物語を連想させました。
この三枚続の画面には、複数の女性と男性が配置されています。人物たちは互いに向き合っていますが、感情を大きな身振りで表してはいません。
――座る人、立つ人、振り返る人。
それぞれの身体の向きと視線が、静かな人間関係を作っています。
栄之の細長い女性像は、一人で立っているときだけでなく、複数の人物が並んだときにも効果を発揮し、長い着物の線が画面の各所に繰り返され、人物と建物、庭園が、ひとつの穏やかなリズムで結ばれています。
歌麿の大首絵では、一人の女性の内面を想像しました。しかし、栄之の続絵では、人物同士の距離や視線から、場面全体に流れる空気を読むことになります。
画像:鳥文斎栄之《風流やつし源氏 若菜上》1789〜94年頃、シカゴ美術館蔵(CC0)
《隅田川の遊船》|都市の風景へ広がる美人画
《隅田川の遊船》は、五枚の版画を横につないだ大きな作品で、隅田川を行き交う複数の舟と、舟に乗る大勢の人々が描かれています。
一枚の美人画では、人物の顔や衣装へ目が向きますが、五枚続のこの作品では、最初に長く広がる川と、複数の舟が作る大きな流れが目に入ります。
舟の中では、女性たちが会話をし、音楽や食事を楽しんでおり、橋の上や対岸にも人々の姿があり、隅田川全体が江戸の社交空間として描かれています。
栄之の女性たちは、都市の風景に埋もれているわけではありません。
細長い身体と華やかな衣装によって、一人ひとりの姿は見分けられます。それでも、ここで主役となっているのは、特定の一人だけではありません。女性、舟、川、橋、対岸の風景が組み合わさり、江戸の都市生活そのものが作品になっています。
《六歌仙 黒主》では一人の全身を描き、《風流やつし源氏》では複数の人物の関係を描きました。そして《隅田川の遊船》では、美人画が都市の大きな空間へ広がっていきます。
栄之は、美しい女性を描きながら、その女性たちが生きる場所と時間まで、画面の中へ取り込んだのです。
画像:鳥文斎栄之《隅田川の遊船》1792年頃、シカゴ美術館蔵(CC0)
紅を抑えた色彩と、静かな美しさ
栄之や同時代の絵師たちは、紅色を目立たせず、墨、藍、紫、緑、黄などの落ち着いた色を中心に使う作品も制作しました。
こうした色彩表現は「紅嫌い」と呼ばれます。
色を使わないわけではありません。強い赤を抑えることで、墨の濃淡や衣装の模様、人物の輪郭が目立つようになります。
歌麿の作品では、顔の白さ、髪の黒、唇の赤が強い対比を作ります。
栄之の画面では、人物と背景が穏やかな色の中でつながり、全体に静かな印象が生まれます。
栄之の武士としての経歴と、この抑制された作風を直接結びつけることはできません。
しかし、感情や色彩を前面へ押し出さず、姿勢と構図によって気品を作る作品には、歌麿とは異なる価値観が表れています。
美人画には、一つの美しさしかなかったわけではありません。
歌麿が顔の近くで感情を描いた時代に、栄之は少し離れた場所から、全身と空間の静けさを描いていたのです。
葛飾 北斎|森羅万象を浮世絵にした人
葛飾北斎は、1760年に江戸で生まれました。
十代後半で勝川春章の門に入り、役者絵を描くことから浮世絵師としての活動を始めます。その後は、版本の挿絵、狂歌絵本、摺物、美人画、風景画、花鳥画、妖怪画、肉筆画、絵手本など、さまざまな分野へ活動を広げました。
北斎は、生涯の中で何度も名前を変え、画風も変化させており、一つの得意分野を完成させ、同じ形式を繰り返した絵師ではありません。ある表現を身につけると、別の題材、別の技法、別の画面へ進みました。
その長い活動の中で、北斎の関心は人間だけにとどまりませんでした。
――富士山、波、滝、橋、花、鳥、魚、虫、職人、旅人、幽霊、妖怪。
北斎にとって、世界に存在するものは、すべて絵の対象になり得たのです。
葛飾北斎を見るポイント
- 大きな形と小さな形が、どのように組み合わされているかを見る
- 自然の中で、人間がどれほど小さく描かれているかを見る
- 水や風など、形のない現象をどのような線に変えたかを見る
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》|波と富士と、小さな人間
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》は、日本美術を代表する作品の一つです。
画面の左側には、巨大な波が立ち上がり、その波頭は細い爪のように分かれ、今にも舟と人間へ襲いかかろうとしています。
その下では、三艘の舟が波間を進んでいます。舟に乗る人々は身体を伏せ、自然の動きに耐えることしかできません。
そして画面の奥には、小さな富士山が見えます。
波と富士山は、遠近によって大きさが逆転しています。本来は巨大な富士山が遠くに小さく描かれ、一瞬だけ立ち上がった波が、画面の大部分を占めています。
しかし、波の中央にできた空間を見ると、その形は遠くの富士山を包み込むようにも見えます。
波頭の三角形と、富士山の三角形も呼応しています。
北斎は、実際の風景をそのまま写したのではありません。大きな波、小さな富士、さらに小さな人間を組み合わせ、自然の力と画面の秩序を同時に作りました。
波は一瞬で崩れます。富士山は長い時間そこにあり続けます。
一瞬と永遠が、一枚の版画の中で向き合っているのです。
画像:葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》1830〜32年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
《諸国瀧廻り 木曾海道小野ノ瀑布》|流れる水に形を与える
《諸国瀧廻り 木曾海道小野ノ瀑布》では、高い岩壁から落ちる滝が、画面の左側を大きく占めています。
その水は白と藍の長い線となり、ほぼ垂直に落ちています。
滝の周囲には、黄色、緑、赤で表された岩や木々が配置され、画面の色彩は非常に鮮やかです。
滝の下には、水車小屋があります。その前の道を、荷物を運ぶ人や馬が通っています。
巨大な滝と比べると、人間も建物も小さな存在です。しかし人々は、自然に圧倒されて立ち止まっているわけではありません。
滝のそばで暮らし、道を歩き、荷物を運んでいます。
《神奈川沖浪裏》が、激しい波の一瞬を描いた作品だとすれば、《木曾海道小野ノ瀑布》が描くのは、絶えず流れ続ける水です。
水には固定された形がありません。それでも北斎は、何本もの太い縦線を並べることで、滝の量、速さ、重さを表しました。実際の滝を写実的に再現するのではなく、水の動きを単純で強い形へ置き換えています。
北斎にとって自然は、ただ眺める対象ではありませんでした。
その動きを観察し、線と色によって、もう一度組み立て直す対象だったのです。
画像:葛飾北斎《諸国瀧廻り 木曾海道小野ノ瀑布》1832年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
『北斎漫画』|世界を集め、分類し、描き方へ変える
『北斎漫画』は、北斎による絵手本です。1814年に初編が刊行され、その後も続編が作られました。
「漫画」という題名ですが、現代の物語漫画とは異なり、各ページには、人物の動作、顔の表情、職人の仕事、動物、植物、建物、風景、波、妖怪など、さまざまな図が並んでいます。
今回、掲載するページには、複数の植物が描かれています。一つの風景を完成された作品として見せるのではなく、花、葉、茎、枝を、それぞれ観察できる形に分けています。
別のページを開けば、相撲を取る人、走る人、働く人、笑う顔、怒る顔、鳥や魚などが現れます。
『北斎漫画』は、北斎の落書きを集めただけの本ではありません。
世界に存在する形と動きを集め、描くための手本として整理した、視覚的な百科事典に近い本です。北斎は、顔や身体だけでなく、世界に存在するあらゆる形へ視線を向けました。
植物の葉にも、流れる水にも、働く人の身体にも、それぞれ異なる線と動きがあります。北斎にとって絵を描くことは、世界を知る方法でもあったのです。
画像:葛飾北斎『北斎漫画』、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
北斎とヨーロッパ|世界を見る線が海を渡る
北斎の作品は、19世紀後半のヨーロッパにも渡りました。
当時のヨーロッパでは、日本の浮世絵や工芸品への関心が高まり、多くの画家やデザイナーが、その構図や色彩を参考にしました。
ただし、ジャポニスムは北斎一人によって生まれたものではありません。歌麿、広重、国芳をはじめ、多くの浮世絵師の作品が紹介され、日本美術全体への関心が広がりました。
その中でも北斎は、風景、人物、動植物、装飾図案まで幅広い作品を残していたため、さまざまな分野の芸術家に参照されました。
――遠近法に従って画面の中央に主題を置くのではなく、大きな形を大胆に切り取り、遠くのものと近くのものを組み合わせる。
北斎の構図は、ヨーロッパの芸術家にとって、世界を別の方法で見る可能性を示しました。北斎が世界を描き尽くしたからこそ、海外の人々も、その中から自分の表現につながるものを見つけることができたのでしょう。
歌麿・栄之・北斎を並べると見えてくること
| 絵師 | 浮世絵に加えたもの | 見るポイント |
|---|---|---|
| 喜多川 歌麿 | 女性の顔と感情 | 目、口、指、首の動き |
| 鳥文斎 栄之 | 静かで理想化された全身像 | 身体の比率、着物の線、人物同士の距離 |
| 葛飾 北斎 | 森羅万象へ広がる視野 | 構図、自然の動き、人間と世界の大きさ |
歌麿、栄之、北斎は、同じ江戸後期に活躍しながら、異なる距離から世界を見ました。
――歌麿は、女性の顔へ近づきました。
背景を省き、目、口、指、首の動きを大きく見せることで、外見の奥にある感情を想像させました。
――栄之は、一歩下がって女性の全身を眺めました。
細長い身体、抑えた色彩、人物同士の距離によって、静かで理想化された空間を作りました。
――北斎は、さらに視野を広げました。
山、波、滝、植物、人間の動作まで、世界に存在するあらゆる形と動きを、浮世絵の主題へ変えました。
三人に共通しているのは、目の前にあるものを、そのまま写してはいないことです。
浮世絵師は、現実を記録しただけではありません。何を見るべきなのかを選び、それを強調し、現実とは異なる新しい世界を画面の中へ作ったのです。
まとめ|顔から、森羅万象へ
江戸後期の浮世絵は、人間と世界を見る視線を大きく広げました。
――顔には、どのような感情が表れるのか。
――身体と衣装は、どのような美しさを作るのか。
――水や風、山や植物は、どのような線で表せるのか。
浮世絵は、江戸の流行を伝える商品であると同時に、世界をどのように見るかを探り続ける芸術でもありました。
そして同じ時代、歌舞伎の舞台では、個性的な役者たちが人気を集め、その姿が役者絵として町へ流通していました。
次回は、東洲斎写楽、初代歌川豊国、歌川国貞を通して、役者絵が役者の個性を発見し、スター像を作り、歌舞伎文化を大量に流通させるメディアへ発展する様子を見ていきます。


