江戸の代表的浮世絵師③ 歌麿、栄之、北斎

〇喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ、1753年頃~1806年)
「美人画の第一人者」。活動の初期は鳥居派に学び、役者絵や挿絵を手がけていましたが、後に独自の美人画を追求するようになります。彼の才能をいち早く見出して世に送り出したのが、大河ドラマ「べらぼう」の主人公である蔦谷重三郎です。重三郎の商業的な後押しによって多くの作品を発表し、大胆な構図で美人の顔を大きく描いた「大首絵」は、江戸庶民の間で高い人気を博し、美人画の第一人者としての地位を確立しました。代表作として「歌撰恋之部」(左側)、「ポッピンを吹く女」(中央)、「寛政三美人」(右側)などが挙げられ、いずれも女性の「艶麗(色っぽさ)」を感じさせる作品です。それら作品の背景は「雲母摺」で一色で塗りつぶし、鑑賞する方向によってはキラキラと光る技法が使われています。晩年には風紀取締りの厳格化により一時的に活動を制限されたこともありましたが、数々の名作を残し、現在でも観る者を魅了し続けています。1806年に死去。

〇鳥文斎 栄之(ちょうぶんさい えいし、1756年~1829年)
「物静かな十二頭身の美人像」。五百石取りの直参旗本であり、武士と浮世絵師の二足の草鞋を履いて活動をしていました。初期の作品は、鳥居清長風の美人画などを描いていましたが、1789年に34歳で家督を譲り、隠居した後は本格的な作画活動に専念します。彼の描く美人画は「十二頭身」のほっそりとした体型で描かれており、女性の「艶麗(色っぽさ)」よりも「物静かで凛としたもの」を感じさせ、同時代のライバルであった喜多川歌麿の作品とは一線を隔しています。また彩色を墨、淡墨、藍、紫、黄、緑といった渋い色のみを用いて表現する「紅嫌い」も、彼が考案したものと言われています。1798年に錦絵の制作を辞め、以降、1829年に死去するまでは肉筆画を手掛けていました。(肉筆画参考作品:「立美人図」(摘水軒記念文化振興財団)蔵)。掲載作品は「風流やつし源氏 松風」(左側)「青楼美人六花仙 扇屋花扇画」(右側)。

〇葛飾 北斎(かつしか ほくさい、1760年〜1849年)
「浮世絵界の巨人」。19歳で勝川春章に師事し、活動を始めて以降、1849年に90歳で死去するまでの70年間に渡って、人物や風景はもちろん、花鳥風月、仏教関係、妖怪などの架空生物、自然現象に至る森羅万象を描き続けました。彼の画業は日本国内のみならず、海外にも波及し、19世紀後半のヨーロッパでジャポニスムと呼ばれるブームを巻き起こして、ヨーロッパ美術に大きな影響を及ぼしました。上部作品は説明が不要なくらい有名な「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」です。海外から日本美術をイメージされる際には必ず含まれている作品で、当サイトのロゴもこの作品をモチーフにしています。下部作品は「北斎漫画 八編、ひとびとの表情」。北斎漫画とは北斎による画集で全十五編が刊行され、四千点を超える様々な主題の図版が絵手本の用途で収録されています。これらは欧州を中心とする日本国外でも『ホクサイ・スケッチ』の名で親しまれており、多くの芸術家がそのモチーフを自身の作品に使用するなど、強い影響を与えました。

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