北斎の波も、歌麿の美人画も、写楽の大首絵も、まだ登場していません。
江戸中期の浮世絵を見ると、現代の私たちが思い浮かべる「浮世絵」とは、少し違って見える作品が多くあります。
極端に細長い紙へ描かれた人物。
奥へ吸い込まれるような江戸の都市風景。
扇形の画面に収められた歌舞伎役者。
複数の大判を横へつなぎ、江戸の川辺を歩く女性たち。
この時代の絵師たちは、完成された形式を受け継いでいたのではありません。
――どのような形の紙に描くのか。
――平らな版画に、どうすれば奥行きを作れるのか。
――役者を「誰が演じているのか」まで描き分けられるのか。
――一枚の版画を越えて、都市の広い空間を表せるのか。
浮世絵が何を描くのかだけでなく、どのような画面で見せるのかが、次々と試されました。
第2回で取り上げるのは、奥村政信、勝川春章、鳥居清長の三人です。
政信は、柱絵、紅摺絵、浮絵を通して、紙の形、色彩、画面の奥行きを広げました。
春章は、歌舞伎役者の顔や身体を描き分け、役者絵を「誰が演じているのか」がわかる肖像へ近づけました。
清長は、細長い女性たちを江戸の川辺や町へ配置し、大判二枚続・三枚続の画面へ都市の空間を広げました。
三人の作品を並べると、浮世絵が一枚の平らな版画から、人物と都市を包み込む大きな視覚世界へ成長していく様子が見えてきます。
この記事で見る時代:江戸中期(18世紀前半〜後半)
この記事で見る流れ:紙の形・色彩・奥行きを広げる政信 → 役者の個性を見えるようにする春章 → 人物と都市を大画面へ広げる清長
江戸中期とは、どのような時代だったのか
江戸中期は、江戸の町人文化が独自の成熟を見せた時代です。
人口の増加とともに、歌舞伎、遊里、見世物、出版など、都市で暮らす人々を相手とした娯楽市場が広がりました。版元は、絵師、彫師、摺師と協力しながら、役者絵、美人画、版本、名所絵などを商品として売り出します。
浮世絵は、特別な権力者だけが所有する絵画ではありません。
――芝居を見た記憶を残したい。
――評判の役者や美人を手元に置きたい。
――行ったことのない場所や、見たことのない世界を眺めたい。
都市で暮らす人々の欲望に応える印刷物として発達しました。技術面でも、墨一色の版画へ筆で色を加える方法から、複数の色板を使う版画へと、さまざまな試みが続けられます。
ただし、江戸中期を単純に「色数が増えて錦絵へ進歩した時代」と考えるだけでは、その面白さを捉えきれません。
色彩だけでなく、紙の大きさや形、人物の見せ方、遠近法、複数枚をつなぐ構成でも、絵師たちは浮世絵の可能性を広げていました。
奥村政信、勝川春章、鳥居清長は、その異なる方向を代表する絵師です。
奥村 政信|紙の形と画面の奥行きを試した絵師
奥村政信は、1686年に生まれ、18世紀前半から中頃に活躍した浮世絵師です。
菱川師宣や鳥居派など、先行する江戸浮世絵の表現を受け継ぎながら、柱絵、浮絵、役者絵、美人画、版本など、幅広い形式を試しました。
さらに政信は、絵を描くだけでなく、「奥村屋」という版元を営んでいました。
つまり、どのような作品を作るかだけでなく、
――どのような形の商品なら売れるのか。
――どこへ飾られ、どのように見られるのか。
まで考える立場にあったのです。
政信は、画家であると同時に、浮世絵という商品の形式そのものを設計する出版者でもありました。
奥村政信を見るポイント
- 紙の形に合わせて、人物の姿勢がどう組み立てられているかを見る
- 限られた色が、人物や場面をどう際立たせているかを見る
- 遠近法によって、視線がどのように画面奥へ導かれるかを見る
柱絵|飾る場所に合わせて、紙を細長くする
《茶屋の前の床几に座る芸者》は、高さ約73センチに対して、幅が約13センチしかない、極端に細長い作品です。
画面の中には、一人の女性が座っています。人物の身体、着物、髪形、建物の柱が、すべて縦方向へ重なります。
これは「柱絵」と呼ばれる形式で、住宅の柱など、幅の狭い場所へ掛けて鑑賞することを想定していました。
一般的な長方形の画面なら、人物の周囲に背景を広げることができます。しかし柱絵では、横方向の余白がほとんどありません。
絵師は、細い紙の中へ人物を収めるため、姿勢や衣装の線を縦方向へ整理する必要がありました。
柱絵は、完成した絵を細長く切ったものではありません。最初から、飾られる場所と紙の形に合わせて、構図全体が設計されていたのです。
政信は、浮世絵の画面を横へ広げるのではなく、まず異常なほど縦へ伸ばしました。作品そのものだけでなく、絵が置かれる室内空間まで含めて考えられた浮世絵だったと言えるでしょう。
画像:奥村政信《茶屋の前の床几に座る芸者》1763年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
《見立「平家物語」紅葉焚図》|限られた色で古典を江戸へ移す
《見立「平家物語」紅葉焚図》では、三味線を手にした女性たちが、紅葉を焚く火のそばに集まっています。
この作品は、『平家物語』に記された逸話をもとにしています。
高倉天皇が紅葉を愛でるために木を植えさせたところ、宮中の者たちが落ち葉を集め、酒を温める火に使ってしまいました。天皇はそれを咎めず、中国の故事になぞらえて風流な行為として受け入れたと伝えられます。
しかし政信は、宮中の人物を歴史上の姿で描いてはいません。画面にいるのは、三味線を持ち、江戸時代の衣装をまとった女性たちです。古典の物語を同時代の人物や風俗へ置き換える、こうした表現は「見立」と呼ばれます。見る者は、江戸の女性たちの姿を楽しみながら、その背後にある古い物語を読み取ることができました。
この作品は、紅を中心に限られた色を版で重ねた「紅摺絵」です。後の錦絵のように多くの色を使ってはいません。それでも、紅葉、衣装、火の気配を紅や緑の色面へ整理することで、画面に華やかさと温かさが生まれています。
政信は、色数の少なさを不足として扱いませんでした。
政信は、限られた色の中で何を目立たせるのかを考え、古典文学を江戸の読者が楽しめる新しい商品へ作り替えました。
柱絵では飾る場所に合わせて紙の形を変え、この紅摺絵では限られた色と見立の仕掛けによって、一枚の版画へ複数の楽しみ方を組み込んでいます。
政信は、画面の大きさや遠近法だけでなく、色と物語の使い方も実験した絵師でした。
画像:奥村政信《見立「平家物語」紅葉焚図》1750年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
《両国橋夕涼見浮絵》|江戸の都市を、奥へ広げる
《両国橋夕涼見浮絵》では、両国橋周辺のにぎわいが描かれています。
この作品は人物一人ひとりの顔を詳しく見る作品ではありません。画面には、橋、川岸、建物、舟、そして大勢の人々が配置されています。重要なのは、江戸の人々が集まる場所全体が、奥行きのある都市空間として見えることです。
橋や建物の線が画面奥へ向かい、人物や舟は少しずつ小さくなります。それによって、見る者の視線は手前から奥へ導かれます。
両国橋周辺は、納涼、見世物、飲食、花火などを楽しむ場所としてにぎわいました。
政信は、特定の美人や役者ではなく、江戸の町そのものを見世物にしています。
柱絵が紙を縦方向へ伸ばした作品だとすれば、浮絵は画面を奥行き方向へ広げる試みでした。
政信にとって、浮世絵の画面は決められた枠ではありません。
飾る場所や見せたい空間に合わせて、形を変えられるものだったのです。シカゴ美術館は《両国橋夕涼見浮絵》を政信の作品として所蔵しています。
画像:奥村政信《両国橋夕涼見浮絵》18世紀、シカゴ美術館蔵(CC0)
勝川 春章|役者を「顔のある個人」にした絵師
勝川春章は、18世紀後半に活躍し、勝川派の基礎を築いた浮世絵師です。
春章以前の役者絵では、役者の顔そのものより、衣装、家紋、役柄、決められた型によって、人物を示す表現が多く見られました。
しかし歌舞伎の人気が高まり、観客が特定の役者を贔屓にするようになると、何という役を演じているのかだけでなく、誰が演じているのかが重要になります。
春章は、目、鼻、口、輪郭、身体つきなど、役者ごとの特徴を描き分けました。役者絵を、舞台上の役柄を伝える絵から、特定の俳優を見分けられる肖像へ近づけたのです。
また春章は、一枚物の役者絵だけでなく、複数の役者を収めた版本も手がけました。
一人のスターを大きく見せる絵と、多くの役者を並べて比較できる出版物。
その両方を通して、歌舞伎役者は「役柄を演じる人物」から、観客が名前と顔を覚え、贔屓を選ぶ存在へ変わっていきました。
勝川春章を見るポイント
- 目、鼻、口、輪郭に、役者固有の特徴があるかを見る
- 顔だけでなく、首や肩、身体の向きから演技を読む
- 役柄と、演じる役者本人の個性がどこで重なるかを見る
《初代中村仲蔵の斧定九郎》|名演を演じた役者の顔
1776年の中村座上演に取材したこの《初代中村仲蔵の斧定九郎》には、『仮名手本忠臣蔵』五段目の斧定九郎を演じる、初代中村仲蔵が描かれています。
初代仲蔵は、後に落語『中村仲蔵』の主人公として語られる役者です。落語では、身分の低い役者だった仲蔵が、それまで見栄えのしなかった定九郎の衣装や演技を作り直し、評判を得る物語が描かれます。
春章の作品では、役者の身体が斜めに置かれ、顔は横へ向けられています。
扇形の画面に合わせて人物が切り取られ、全身を見せるというより、役者の顔と演技の印象が凝縮されています。
観客にとって重要だったのは、「斧定九郎」という登場人物だけではありません。
初代中村仲蔵が演じる定九郎であることに価値がありました。
春章は、演目の中の人物と、実在する人気役者の個性を、一つの画面へ重ねました。役者絵は、芝居の説明図ではなく、贔屓の役者を手元へ置くための商品へ近づいていきます。
画像:勝川春章《初代中村仲蔵の斧定九郎》1776年、シカゴ美術館蔵(CC0)
『役者国の花』|役者を並べ、見比べる
『役者国の花』は、勝川春章が歌舞伎役者たちを描いた彩色版本です。
今回掲載する場面には、若衆役を演じる中村柏木と、奴に扮した三人の役者が並んでいます。一枚物の役者絵では、一人または数人の役者が、独立した商品として描かれます。それに対して版本では、読者はページをめくりながら、多くの役者を順番に眺めることができました。
この場面では、四人の衣装や役柄には共通点があります。しかし、顔の輪郭、目や口の形、身体の大きさ、姿勢は同じではありません。春章は、似た衣装をまとった人物を並べながら、それぞれの役者らしさが残るように描き分けています。
――誰の顔が最も印象に残るのか。
――同じような役柄でも、身体の使い方はどう違うのか。
――自分の贔屓は、ほかの役者と比べてどのように見えるのか。
読者は複数の役者を見比べながら、それぞれの個性を楽しむことができました。
《初代中村仲蔵の斧定九郎》では、一人の役者と名演の記憶が、扇形の画面へ凝縮されていましたが、『役者国の花』では、複数の役者が一つの出版物へ集められています。
役者絵は、贔屓の一人を手元に置く商品であると同時に、歌舞伎界全体を眺め、比較するための役者名鑑にも近づいていったのです。
この方法は、後に初代歌川豊国が刊行した『役者相貌鏡』など、役者文化をまとめて流通させる出版物にもつながっていきます。
画像:勝川春章『役者国の花』所収《中村柏木と三人の奴》1772年頃、シカゴ美術館蔵(CC0)
《三代目瀬川菊之丞の女郎蜘蛛の精》|顔から全身の演技へ
《三代目瀬川菊之丞の女郎蜘蛛の精》では、女方の人気役者・瀬川菊之丞が、女郎蜘蛛の精に化けた人物を演じています。
ここでは顔だけでなく、衣装、腕の構え、身体の傾きによって、役柄の妖しさが表されています。
役者は、舞台上で言葉だけを使って役を作るわけではありません。
首の角度、手の位置、腰のひねり、衣装の動き。
身体全体によって、人物の性格や場面の緊張を伝えます。春章は、役者の顔を描き分けると同時に、その役者がどのように身体を使って演じたのかも版画へ取り込みました。
――顔の似顔から、全身の演技へ。
春章の役者絵は、後の写楽、豊国、国貞へつながる道を開いていきます。
画像:勝川春章《三代目瀬川菊之丞の女郎蜘蛛の精》1781年、シカゴ美術館蔵(CC0)
鳥居 清長|人物と江戸の町を大画面へ広げた絵師
鳥居清長は、1752年に生まれ、鳥居清満の門人として浮世絵を学びました。
初期には鳥居派の伝統を受け継ぎ、細判の役者絵などを制作しましたが、次第に美人画で独自の表現を作ります。
清長の女性像は、現実の人体よりも細く長く引き伸ばされています。
――小さな頭、長い脚、すらりと伸びた身体。
一般に「八頭身美人」と表現されますが、重要なのは正確な頭身ではありません。
人物を細長く描くことで、立つ、歩く、振り返るといった身体の動きが、優雅な線として画面へ表れることです。
さらに清長は、女性一人だけを描くのではなく、複数の人物を江戸の川辺、橋、舟、町の中へ配置しました。美人画は、女性の姿を見せる絵から、女性たちが生きる都市の時間と空間を描く絵へ広がっていきます。
鳥居清長を見るポイント
- 細長い身体と、着物が作る縦の線を見る
- 人物の視線、歩調、身体の向きの違いを見る
- 女性だけでなく、川、橋、舟、町との関係を見る
《隅田川を歩く三人の女性》|美人画に歩く身体を入れる
三人の女性が、川辺を並んで歩いています。
女性たちは似たような細長い身体を持っていますが、姿勢や顔の向き、衣装の模様は異なります。
一人は前を見て歩き、一人は隣の人物へ身体を向け、もう一人は少し遅れてついていきます。
静止した三人を並べただけではありません。
身体の角度と着物の線によって、それぞれの歩調や会話が感じられます。
清長の美人画では、顔が画面の中心ではありません。
人物の全身と、人物同士が作るリズムが重要です。
歌麿が後に女性の顔へ近づいたのに対し、清長は少し離れた場所から、女性が都市の中を動く様子を眺めました。
人物の身体だけでなく、その周囲にある空気まで描こうとしたのです。メトロポリタン美術館も、清長の女性像を優雅で細長い様式として説明しています。
画像:鳥居清長《隅田川を歩く三人の女性》1780年代、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
《大川端の夕涼み》|美人と都市の風景を一つにする
《大川端の夕涼み》には、夏の夕暮れに隅田川沿いを歩く女性たちが描かれており、画面には、美しい女性の姿だけでなく、川辺の風景、遠くの舟、岸辺の建物などが広がっています。
人物は背景の前へ置かれた飾りではありません。川辺を歩く身体、吹いてくる風、夕暮れの涼しさを含めて、一つの場面が作られています。
清長の女性像は理想化されています。実際の江戸の女性が、すべてこのように長身だったわけではありません。
一方、背景には、江戸の人々が知っていた川辺の風俗や都市の空気が取り込まれています。
理想化された人物と、現実感のある江戸の空間。
二つを組み合わせることで、清長は「美しい女性」だけでなく、美しい女性が歩く、理想的な江戸を作り出しました。
画像:鳥居清長《大川端の夕涼み》1784年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
《吾妻橋下の舟遊び》|三枚続で都市空間を作る
《吾妻橋下の舟遊び》では、橋の下から隅田川を眺める、大胆な構図が使われています。
画面の前方には大きな橋の構造があり、その下に舟と女性たち、遠くの対岸が見えます。一枚だけでは、すべての空間を収めることはできません。
そこで清長は、複数の大判を横につなぎ、一つの広い画面を作りました。続絵では、それぞれの紙に一人ずつ人物を置くだけでは、画面がばらばらになってしまいます。人物の視線、橋の線、舟の向き、対岸の風景を横断させることで、複数枚が一つの都市空間として結びつきます。
それでも、一枚ごとの人物配置には、独立して眺められるまとまりがあります。
全体を見れば大きな風景になり、一枚を見れば一人または数人の美人画になる。
清長は、続絵という形式を使い、浮世絵を室内で眺める小さな画面から、見る者の視野を包み込む大画面へ広げました。
画像:鳥居清長《吾妻橋下の舟遊び》18世紀後半、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)
政信・春章・清長を並べると見えてくること
| 絵師 | 浮世絵に加えたもの | 見るポイント |
|---|---|---|
| 奥村 政信 | 紙の形、色彩、画面の奥行き | 柱絵、紅摺絵、見立、遠近法 |
| 勝川 春章 | 役者固有の顔と演技 | 一人の肖像、役者の比較、全身の演技 |
| 鳥居 清長 | 人物と都市を包む大画面 | 細長い身体、群像、続絵の空間 |
政信、春章、清長は、異なる方向へ浮世絵の画面を広げました。
政信は、浮世絵という商品の形式を変えました。柱へ飾る細長い画面を作り、限られた色と見立によって古典を江戸の風俗へ置き換え、浮絵では平らな紙の奥へ都市を広げました。
春章は、画面の中の人物を変えました。役柄の型として描かれていた歌舞伎役者を、顔や身体に特徴を持つ、見分けられる個人として描きました。さらに複数の役者を版本へ集め、読者が顔や芸風を見比べられる形へ整理しました。
清長は、人物の周囲を変えました。細長い女性を一人で置くだけでなく、川、橋、舟、町と結びつけ、複数枚をつないだ大画面へ江戸の都市生活を広げました。
三人に共通しているのは、浮世絵の画面を、決められた枠として考えなかったことです。
――紙の形を変える。
――限られた色と見立で、物語を作り替える。
――遠近法を使う。
――役者の顔を描き分け、版本へ集める。
――複数枚を横へつなぐ。
こうした試みの積み重ねによって、後の歌麿、写楽、北斎、広重が活動するための画面が準備されていきました。
まとめ|浮世絵は、まだ自由に形を変えていた
江戸中期の浮世絵には、後の有名作品とは異なる面白さがあります。
完成された浮世絵の様式を反復するのではなく、
――紙をどれほど細長くできるのか。
――限られた色で、どのように華やかな画面を作るのか。
――平らな紙に、どこまで奥行きを作れるのか。
――役者を一人ひとり描き分け、見比べられるようにできるのか。
――複数の紙をつなぎ、都市全体を描けるのか。
絵師たちは、画面の使い方そのものを試していました。
現在の私たちには、「これも浮世絵なのか」と感じられる作品もあります。しかし、その違和感こそ、この時代の面白さです。浮世絵がまだ一つの完成形を持たず、絵師、版元、彫師、摺師が、それぞれの立場から自由に可能性を探していた時代だったのです。
こうした実験のあと、浮世絵はすぐに歌麿や北斎の時代へ進んだわけではありません。
春信の可憐な女性像は、より大きく存在感のある身体へ変わり、版本の中には複数の人物が暮らす世界が作られ、遠近法によって芝居小屋や都市の奥行きが描かれるようになります。
次回の補章では、磯田湖龍斎、北尾重政、歌川豊春を取り上げます。
湖龍斎が美人画の身体を、重政が版本の世界を、豊春が都市空間と歌川派をどのように次の時代へつないだのか。春信の後から、歌麿と歌川派の時代へ続く道筋を見ていきます。


