江戸の代表的浮世絵師② 正信、春草、清長

〇奥村 正信(おくむら まさのぶ、1686年~1764年)
「浮世絵の技術革新に大きく貢献」。彼は浮世絵が単色版画(墨摺絵)から多色刷り版画(錦絵)へと発展する過渡期に菱川師宣や鳥居清信の影響を受けながらも、柱に飾るため、極めて細長い縦長画面に描いた柱絵や、西洋の透視図法を応用し、場面に奥行きを持たせた浮絵などの発案、さらに筆彩色や版彩色などの新しい工夫を試みるなどさまざまな独自の表現を用いて活躍しました。また自身で奥村屋という版元を経営し、独自の出版活動を展開していたことも、彼の自由な表現を生み出した原動力になっていたのではないでしょうか。1764年に死去。掲載している作品は、柱絵の「鐘馗図」(左側)と浮絵の「両国橋夕涼見浮絵根元」(右側)。

中期(明和年間から文化年間、1764年~1817年頃に活躍)

〇勝川 春章(かつかわ しゅんしょう、1726年(または1743年)~1793年)
「勝川派の創始者」。役者個人の特徴を捉えた写実的でブロマイド的な役者絵や、細密優美な作風の肉筆の美人画で高い評価を得ました。1775年に発表した彼の代表作である「東扇」の連作は、人気役者の似顔絵を扇に仕立てて身近に愛用するために、扇の形に線が入っているもので、後の大首絵の先駆的な作品とされています。後に肉筆の美人画にも取り組み、優美で洗練された作品を多数制作しました。その代表作には「雪月花図」「婦女風俗十二ヶ月図」などがあります。彼の門下からは葛飾北斎をはじめ、多くの優れた絵師が輩出され、勝川派は浮世絵界で大きな影響力を持ちました。1793年に死去。掲載作品は左側、「東扇 初代中村仲蔵の斧定九郎」(落語の人情噺、「中村仲蔵」で著名)、右側、「東扇 中村里好」。

〇鳥居 清長(とりい きよなが、1752年~1815年)
「八頭身の美人風俗画を創出」。鳥居清信から数えて二代後の清満の門人。初め、細判紅摺の役者絵を描いていましたが、次第に鳥居派風を脱し、勝川春章らの似顔絵的な役者絵の影響を受けて紅摺絵から細判の錦絵に画風が変わり、その後は彼の代名詞となる八頭身の美人画を大判用紙、二枚続、三枚続の大画面で描く様式を確立します。実際の江戸の街風景を写実的に描いた背景の中に八頭身の美人を群像的に配置する彼の作風は美人風俗画と称され、後の大判続物を発展させる基礎を築きました。これらの作品は大判用紙単体で鑑賞しても、内容が壊れることなくまとめられており、彼の高い技術を窺うことができます。代表作は大判三枚続の「大川端の夕涼」(左側)、揃物(シリーズ絵)の「当世遊里美人合」(右側)など。1815年に死去。

江戸の代表的浮世絵師③に続きます。)