浮世絵師入門①|師宣・清信・春信 ―― 江戸前期から中期、錦絵誕生まで

江戸前期から中期の浮世絵を見ると、現代の私たちが思い浮かべる、鮮やかな多色摺の版画とはかなり違う作品が並びます。

浮世絵は、最初から完成された美術ジャンルとして現れたわけではありません。

――何を描くのか、どこで売るのか、誰が見るのか、どのように色を付けるのか。

江戸の出版、歌舞伎、遊里、都市生活の中で、その形を少しずつ整えていきました。

第1回で取り上げるのは、菱川師宣、鳥居清信、鈴木春信の三人です。

師宣は、版本の挿絵、一枚摺、肉筆画を通して、同時代の風俗を幅広い形で流通させました。

清信は、歌舞伎役者の身体や演技を、遠くからでも伝わる太い線と大胆な構図で描き、役者や演目の魅力を劇場の外へ伝える視覚媒体として浮世絵を発達させました。

春信は、多色摺の技術を洗練させ、浮世絵を色彩と物語を手元で味わう錦絵へ変えていきました。

三人を並べると、浮世絵が本の中から外へ出て、江戸の街や劇場と結びつき、やがて色鮮やかな商品として完成へ向かう流れが見えてきます。

この記事で見る時代:江戸前期から中期(17世紀後半〜18世紀後半)
この記事で見る流れ:浮世絵を出版と結びつける師宣 → 歌舞伎の熱を伝える清信 → 色と物語を錦絵へ結ぶ春信

江戸前期から中期とは、どのような時代だったのか

江戸幕府が成立した17世紀、江戸は急速に人口を増やし、巨大な都市へ成長していきました。大名や武士だけでなく、職人、商人、奉公人など、さまざまな人々が江戸へ集まり、都市で働き、暮らし、娯楽を楽しむようになります。

――歌舞伎、遊里、見世物、行楽、流行の衣装。

それまで絵画の中心になりにくかった、同時代の生活や娯楽が、新しい題材として注目されました。

「浮世」とは、遠い過去や理想世界ではなく、人々がいま生きている世の中です。

――評判の役者を見たい、美しい衣装や髪形を眺めたい、吉原や芝居町の雰囲気を知りたい。

こうした都市生活者の関心に応えたのが、浮世絵でした。しかし、初期の浮世絵の多くは墨一色です。色を加える場合も、印刷後に筆で彩色する方法が使われました。

一枚の作品として売られる版画もありましたが、版本の挿絵として流通する絵も多く、画面の形式や役割はまだ定まっていません。

江戸前期とは、完成された浮世絵が普及した時代ではなく、

――本の挿絵を一枚の絵へ変える。
――舞台の熱気を紙の上へ移す。
――墨一色の画面へ色を増やす。

という実験が繰り返された時代だったのです。

菱川 師宣|浮世絵を本の中から外へ出した絵師

菱川師宣は、17世紀後半に江戸で活躍した絵師です。安房国保田、現在の千葉県鋸南町周辺の出身とされ、縫箔を仕事とする家に生まれたと伝えられています。

縫箔とは、衣装へ刺繍や金銀の箔を施す仕事です。師宣の描く着物に細かな文様や豊かな装飾が見られるのは、こうした環境と無関係ではないのでしょう。

師宣は版本の挿絵、木版画、肉筆画など、さまざまな方法で江戸の風俗を描きました。師宣以前にも、遊里や歌舞伎、都市生活を描いた絵は存在します。そのため、一人の絵師だけを「浮世絵の発明者」と考えることはできません。

それでも師宣が「浮世絵の祖」と呼ばれるのは、同時代の風俗を描く絵を大量に制作し、出版と結びつけ、広く流通する形式へ整えたからです。

菱川師宣を見るポイント

  • 人物の衣装や髪形に、当時の流行がどう表されているかを見る
  • 袖、帯、身体の輪郭が作る曲線を見る
  • 本の一ページと、一枚の独立した絵の違いを考える

『和国美人遊』|浮世絵は、まず本の中にあった

菱川師宣『和国美人遊』『和国美人遊』は、女性たちの姿や遊びを描いた版本です。

現在、浮世絵と聞くと、壁へ飾る一枚の版画を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし初期の浮世絵は、書物の挿絵として人々の手に届くことも多くありました。

読者は文章を読みながら、ページの中に描かれた人物の衣装、髪形、しぐさを眺めます。

師宣の人物は、単なる文章の説明ではありません。女性たちの姿勢や視線、袖や帯が作る曲線には、挿絵だけでも鑑賞できる魅力があります。

本は、一枚の絵より多くの場面を収めることができます。ページをめくるごとに人物や場所が変わり、読者は江戸の風俗を連続した場面として楽しめました。

浮世絵は、最初から美術館の壁へ掛ける作品だったのではありません。手に持ち、読み、ページをめくる出版物の中で育っていったのです。

画像:菱川師宣『和国美人遊』1673年頃、シカゴ美術館蔵(CC0)

《吉原の風景》|都市の娯楽を一枚の画面へ集める

菱川師宣《吉原の風景》《吉原の風景》には、遊里に集まる人々の姿が描かれています。一人の美人だけを大きく見せる作品ではありません。

室内、通り、建物、客、遊女など、吉原という場所を構成するさまざまな要素が、一枚の画面へ集められています。

ここで重要なのは、吉原が単なる背景ではないことです。誰がどこに座り、誰と話し、どのような衣装を身につけているのか。人物同士の関係や、その場のにぎわいを見ることができます。

江戸のすべての人が、自由に吉原へ出入りできたわけではありません。地方に住む人や、実際には訪れることのできない人にとって、浮世絵は未知の都市空間を眺める窓でもありました。

師宣は、古い物語の英雄や貴族ではなく、同時代の都市で生きる人々を絵の中心へ置きました。浮世絵の「浮世」とは、こうした現在進行形の暮らしや欲望だったのです。

画像:菱川師宣《吉原の風景》1680年頃、シカゴ美術館蔵(CC0)

《見返り美人図》|一人の女性が、絵の主役になる

菱川師宣《見返り美人図》《見返り美人図》には、鮮やかな紅色の振袖をまとった女性が、ふと後ろを振り返る瞬間が描かれています。

背景には、建物も風景もありません。画面にいるのは、ただ一人の女性です。それでも、着物の裾、帯の結び、髪の輪郭、わずかにひねられた身体によって、画面には豊かな動きが生まれています。

また女性は正面を向いていません。顔の半分ほどしか見えないにもかかわらず、振り返るしぐさによって、見る者はその視線の先を想像します。

――誰に呼び止められたのか。
――何を見つけたのか。
――このあと、どこへ歩いていくのか。

その物語は描かれていませんが、一瞬の姿勢が前後の時間を感じさせます。

《見返り美人図》は木版画ではなく、筆で直接描かれた肉筆画です。師宣は出版物を通して浮世絵を広めましたが、肉筆画では、衣装の色や筆線を一作ごとに細かく作り込むことができました。

本の中で複数の人物を描いた師宣は、やがて一人の女性だけでも、絵画として成立する姿を作り出しました。

画像:菱川師宣《見返り美人図》17世紀、東京国立博物館蔵(Public Domain)

鳥居 清信|歌舞伎の熱を紙の上へ移した絵師

鳥居清信は、江戸初期の役者絵を代表する絵師で、鳥居派の祖とされています。
鳥居派は、長く歌舞伎の看板絵、番付、役者絵などを担いました。歌舞伎の絵には、美人画とは異なる役割があります。

劇場の前を通る人に、どの役者が、どのような役を演じるのかを瞬時に伝えなければなりません。細かな表情よりも、大きな身体、強い姿勢、目立つ衣装が必要になります。

清信は、太く弾力のある線を使い、役者の腕や脚を大きく誇張しました。こうした表現は、一般に「ひょうたん足・みみず描き」と呼ばれます。ふくらんだ脚をひょうたんに、うねる輪郭線をみみずにたとえた言葉です。

清信の役者絵は、舞台を忠実に記録した写生ではありません。遠くから見ても、役者の力や演技の方向が伝わるように、身体を再設計した絵なのです。

鳥居清信を見るポイント

  • 腕、脚、肩が、現実の身体よりどのように誇張されているかを見る
  • 太くうねる輪郭線が、役者の動きをどう強めているかを見る
  • 顔だけでなく、全身の姿勢から役柄を読む

《初代山中平九郎の鬼》|墨線だけで、身体を巨大にする

伝・鳥居清信《初代山中平九郎の鬼》《初代山中平九郎の鬼》には、鬼を演じる役者が描かれています。

この作品は、鮮やかな多色摺ではありません。墨一色で摺られた墨摺絵です。単色の画面ですが、弱く見えるわけではありません。

太い輪郭線が腕、肩、脚を大きく取り囲み、衣装や髪も渦を巻くような曲線で表されています。

役者の身体は現実の人体よりも大きく、重く、力強く見えます。特に目を引くのが、縦に構えられた長い武器と、腰を低く落とした姿勢です。縦に伸びる武器と、左右へ膨らむ身体が組み合わされ、狭い紙面の中に強い圧力が生まれています。顔を細かく描かなくても、鬼の荒々しさや、舞台上の緊張は十分に伝わります。

清信は、色彩よりも線と身体の誇張によって、歌舞伎の熱を紙へ移しました。

画像:伝・鳥居清信《初代山中平九郎の鬼》1706年頃、シカゴ美術館蔵(CC0)

《歌舞伎役者》|衣装の線が、踊りの動きを作る

伝・鳥居清信《歌舞伎役者》《歌舞伎役者》では、踊る人物の衣装が大きく広がっています。腕や脚だけでなく、袖、裾、衣装の文様が、身体の動きをさらに強く見せています。

歌舞伎役者は、舞台上で止まっているわけではありません。

――歩く、振り返る、袖を振る、見得を切る。

清信は、その連続した動きの中から、最も役者らしい一瞬を選びました。

着物の輪郭は、身体へ素直に沿ってはいません。大きく波打ち、ふくらみ、役者の周囲へ運動を広げています。画面を見る者は、実際の舞台を見ていなくても、人物がどちらへ動こうとしているのかを感じることができます。

役者絵は、写真のように一瞬を固定した記録ではありません。舞台で見た動きを、見る者の記憶の中でもう一度動かすための絵だったのです。

画像:伝・鳥居清信《歌舞伎役者》1708年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)

《柿村吉三郎の踊り子》|役者は、役柄によって姿を変える

鳥居清信《柿村吉三郎の踊り子》《柿村吉三郎の踊り子》では、役者が踊り子の姿で描かれています。

《初代山中平九郎の鬼》のような荒々しい身体とは異なり、ここでは細い手足、傾けた頭、衣装の柔らかな線が目立ちます。同じ清信の役者絵でも、すべての人物が同じ身体を持っているわけではありません。

――鬼や荒武者には、大きく踏ん張る脚と太い腕。
――踊り子の役には、しなやかな手首と流れるような衣装。

役柄に応じて、身体の線が使い分けられています。

ただし、ここで描かれているのは、舞台上の架空の女性だけではありません。柿村吉三郎という役者が、その役をどのように演じたのかを示す絵でもあります。

後の勝川春章や写楽ほど、役者個人の顔立ちを細かく描き分けてはいません。清信の時代には、まず衣装、姿勢、動作によって、役柄の性格をわかりやすく伝えることが重視されました。

画像:鳥居清信《柿村吉三郎の踊り子》1705年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)

鈴木 春信|色と物語を錦絵へ結んだ絵師

鈴木春信は、18世紀中頃に活躍し、錦絵の誕生を代表する浮世絵師です。

春信以前にも、墨摺絵へ筆で色を加える丹絵や紅絵、紅や緑など複数の色板を使う紅摺絵が作られていました。そのため、春信一人が突然、多色摺を発明したわけではありません。

彫師や摺師の技術、紙や顔料の改良、版元の企画、裕福な趣味人たちが制作した絵暦など、複数の条件が重なって錦絵は生まれました。その中で春信は、多数の色板を正確に重ねる技術を使い、淡く繊細な色彩と、静かな物語を組み合わせました。

春信の人物は、現実の身体よりも小柄で、男女の違いもそれほど強くありません。しかし、視線、手の動き、人物同士の距離によって、恋、ためらい、孤独、親しさが表されています。

錦絵は、色が増えただけの版画ではありません。色彩によって、時間、季節、空気、感情まで表せるメディアになったのです。

鈴木春信を見るポイント

  • 淡い色同士が、どのような空気や時間を作っているかを見る
  • 人物の視線、手、身体の距離から物語を読む
  • 古典や故事が、江戸の日常へどう置き換えられているかを見る

《雪中相合傘》|白と黒で、二人の関係を描く

鈴木春信《雪中相合傘》《雪中相合傘》では、若い男女が一本の傘に入り、雪の中を歩いています。

男性の衣装は黒く、女性の衣装は白い。二人は「烏と鷺」にたとえられるような、対照的な色で描かれています。背景には建物も大きな風景もありません。

静かに降る雪と、寄り添う二人だけが画面の中心です。二人の身体は触れ合うほど近く、傘もわずかに傾いています。言葉や説明がなくても、親密な関係であることが伝わります。

一方で、雪の中を歩く姿には、どこか寂しさもあります。春信は恋人たちを劇的に抱き合わせるのではなく、並んで歩く距離と色の対比だけで感情を表しました。

白い雪や衣装では、紙の地そのものも画面表現の一部として生かされています。錦絵は、色彩だけでなく紙の表面まで使い、見る者へ雪の柔らかさや衣装の質感を伝えました。

画像:鈴木春信《雪中相合傘》1769年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)

《夜の梅》|多色摺で、夜の静けさを作る

鈴木春信《夜の梅》《夜の梅》では、灯籠を持つ女性が、夜の闇の中で梅の花を眺めています。

画面の大部分を占める暗い地色に対し、女性の衣装、白い梅、灯籠の光が静かに浮かび上がります。

錦絵の特徴は、単に多くの色を使えることではありません。どこに色を置き、どこを暗く残すかによって、時間や空間を表現できるようになったことです。

昼間の梅なら、花や枝の形をはっきり描くことができます。しかし夜の梅は、すべてが見えるわけではありません。女性が手にする小さな光と、闇の中に浮かぶ白い花によって、見る者は夜の空気を想像します。春信は、色数を増やすだけでなく、色を使わない部分も含めて画面を設計しました。

画像:鈴木春信《夜の梅》1766年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)

《見立孟宗 雪中に筍を掘る女》|古い物語を江戸の日常へ移す

鈴木春信《見立孟宗 雪中に筍を掘る女》《見立孟宗 雪中に筍を掘る女》では、一人の女性が雪の中で筍を掘っています。

もとになったのは、中国の孝行説話に登場する孟宗の物語で、病気の母が筍を望んだため、孟宗が冬の竹林で嘆くと、季節外れの筍が地面から生えたと伝えられます。

しかし春信は、古代中国の男性をそのまま描いてはいません。孟宗を、江戸時代の若い女性へ置き換えました。

このように、よく知られた古典、故事、和歌などを、同時代の人物や風俗へ置き換える表現を「見立」と呼びます。

見る者は、雪中で筍を掘る女性の姿を楽しむと同時に、その背後にある孟宗の物語を読み取ります。教訓的な孝行説話が、江戸の美人画へ変わっているのです。

この作品は、新年の暦を組み込んだ絵暦として制作されました。

――実用的な暦、古典の知識、美人画、多色摺の技術。

複数の楽しみを一枚へ重ねることで、春信は錦絵を、ただ眺めるだけではなく、読み解いて遊ぶ商品へ発展させました。

画像:鈴木春信《見立孟宗 雪中に筍を掘る女》1765年頃、メトロポリタン美術館蔵(Public Domain)

師宣・清信・春信を並べると見えてくること

絵師 浮世絵に加えたもの 見るポイント
菱川 師宣 同時代の風俗と、独立した人物像 版本、一枚絵、肉筆画、衣装
鳥居 清信 歌舞伎の身体と宣伝力 太い線、誇張された手足、役柄
鈴木 春信 多色摺と静かな物語 錦絵、見立、絵暦、人物の距離

師宣、清信、春信は、異なる方向から浮世絵の形を作りました。

師宣は、同時代の人々や風俗を、版本、木版画、肉筆画へ広げました。
本の挿絵だった人物は、一枚の絵として独立し、《見返り美人図》では、一人の女性だけで画面の主役になりました。

清信は、浮世絵を歌舞伎と結びつけました。
太い線と誇張された身体によって、舞台上の動きや役柄を、劇場の外にいる人にも伝わる形へ変えました。

春信は、浮世絵へ色彩と静かな物語を加えました。
多色摺、空摺、見立、絵暦などを組み合わせ、手元で眺め、読み解く錦絵を作りました。

三人に共通しているのは、絵を描くだけでなく、どのような形で届けるのか、どこで見られるのか、何を楽しんでもらうのかまで変えたことです。

――本をめくる読者。
――芝居町を歩く観客。
――絵暦や錦絵を交換し、手元で眺める趣味人。

見る人と使われる場所が変わるたび、浮世絵の姿も変わっていきました。

まとめ|浮世絵は、本・劇場・色彩から生まれた

江戸前期から中期の浮世絵は、まだ一つの完成した形式を持っていません。

版本の一ページとして読まれる絵。
劇場の外で役者や演目を伝える絵。
筆で直接色を加える絵。
複数の色板を重ねて作る錦絵。

異なる技術と用途が並びながら、浮世絵という大きな文化が形作られていきました。

北斎や歌麿の時代から振り返ると、初期の浮世絵は色が少なく、素朴に見えるかもしれません。しかし、その素朴さの中では、

――本から絵を独立させる。
――役者の動きを線へ変える。
――色板を重ね、季節や感情を表す。

という大きな試みが進められていました。

浮世絵は、一人の天才が突然発明したものではありません。絵師、版元、彫師、摺師、役者、読者、そして江戸という都市が、長い時間をかけて作り上げたメディアだったのです。

次回は、奥村政信、勝川春章、鳥居清長を通して、浮世絵が紙の形、人物の個性、都市の空間へ画面を広げていく様子を見ていきます。