江戸の代表的浮世絵師① 師宣、清信、春信

現在、大阪中之島美術館では、「歌川国芳展 -奇才絵師の魔力-」が2025年2月24日まで開催されています。近年、浮世絵に関わった人々にスポットライトが当てられており、この展覧会以外にも、昨年度にはあべのハルカス美術館で「広重 -摺の極み-」が開催されました。また、今年度のNHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸日本橋の版元として化政文化の隆盛に貢献した蔦屋重三郎が取り上げられています。これから数回にわたり、江戸から明治にかけて活躍した浮世絵師たちを改めて紹介していこうと思います。

初期(延宝年間から宝暦年間、1673年頃~1764年頃に活躍)

〇菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ、1618年頃〜1694年)
「浮世絵の祖」。安房国保田(現在の千葉県鋸南町)の出身。父は衣類に刺繍や摺箔を施す縫箔師で、その環境で育った彼は、独学で「狩野派」「土佐派」「長谷川派」などの技法を模倣しながら学んだ後に江戸に移り、版下絵師や書物の挿絵師として活動を始めます。彼の最大の功績は、浮世絵を絵入り本の挿絵から独立した一枚の作品へと昇華させたことで、特にそれまでの絵画になかった日常生活や当時の庶民の姿をリアルに描写した、「浮世(現在の世)」を題材にした画風を確立させました。この新しい表現は庶民の人気を集め、絵画文化の大衆化を推進します。代表作「見返り美人図」(肉筆画、東京国立博物館蔵)は、緋色の衣装をまとった美人が振り返る一瞬を描いた作品で、その印象的な構図も含めて高く評価されています。1694年、江戸にて死去。

〇鳥居 清信(とりい きよのぶ、1664年〜1729年)
鳥居派初代。大坂生まれ。幼少期に京都で浮世絵を学んだ後、1687年に父清元とともに江戸に移り、24歳で若衆歌舞伎に関わる職を得、その後、父と共に「歌舞伎の看板絵」が評判となります。彼は江戸歌舞伎における「荒事」を浮世絵で表現するために尽力し、太く力のある線や、迫力ある筋肉の描写を用いて役者を描く「ひょうたん足みみず描き」と呼ばれる独自の画法を発展させました。当時、歌舞伎の人気が高まる中で、彼の役者絵は観客や役者の間で広く支持され、浮世絵が庶民文化として定着するきっかけとなり、これは浮世絵を広告や宣伝の一環として活用する方法を確立し、現代で言う「商業デザイン」の先駆けとも言えます。鳥居派は、この後、代々歌舞伎の宣伝画を担う画派として受け継がれ、江戸の演劇文化を支える重要な役割を果たしています。1729年に死去。掲載している作品は歌舞伎一八番の一つ「象引」を描いたもの(紅摺絵)。

〇鈴木 春信(すずき はるのぶ、生没年不詳、1725年頃〜1770年頃)
「錦絵を完成させた先駆者」。享保年間(1716年〜1736年)に江戸で生まれ、当初は肉筆画を手がけましたが、1760年代に版画制作へ転向しました。彼の最大の功績は、従来の単色刷りや手彩色であった浮世絵を、多色刷りの錦絵として発展させたことが挙げられます。錦絵は1765年頃に登場し、柔らかな色調や繊細な描線を特徴とする春信の美人画や風俗画は庶民に広く支持されました。彼の作品は、儚げで上品な女性像や江戸の四季折々の情景を描写しているのが特徴、代表作の「雪中相合傘」(上部画像)「五常」シリーズ(下部画像、五常の内、仁)などは、いずれも錦絵であり、優雅な美意識と高い技術が感じられます。1770年頃に死去。

江戸の代表的浮世絵師②に続きます。)