1.展覧会概要
時を経て浮かび上がる赤と黒のコントラストが美しい根来塗。
大阪市立美術館で開催された特別展「NEGORO 根来-赤と黒のうるし」(2025年9月20日〜2025年11月9日)は、日本の漆芸が育んできた美意識をじっくりと味わえる展覧会でした。
漆がもつ艶やかな表情と、使い込むほどに現れる「時の痕跡」。その静かな輝きには、祈りとともに受け継がれてきた美の記憶が息づいています。
2.根来塗の歴史と技法
「根来塗」とは、木地に黒漆を塗り、その上から朱漆を重ねる二層仕上げの漆器のこと。実際には、下地から仕上げまで20回以上も塗りと研ぎを繰り返すことで、堅牢さと深みのある艶が生まれます。長い使用のなかで朱がすり減り、下地の黒がのぞくことで独特の景色が生まれます。派手さを抑えながらも、使うほどに完成していく美学こそが根来の魅力です。
その起源は中世、紀州・根来寺の僧侶たちが日常の食器や法具として用いた漆器にあります。質実な造形と堅牢なつくりが評価され、やがて茶の湯の世界にも取り入れられ、美の体系の中に位置づけられていきました。
3.展示構成と見どころ
第一章 根来の源泉
古来より朱は太陽や生命の象徴、黒は静寂と厳粛の象徴とされてきました。
朱漆の原料には、かつて「辰砂(硫化水銀:HgS)」が用いられ、祭祀や装飾に使われた神聖な顔料でした。防腐効果にも優れ、長く使う器に適した素材だったのです。現在では環境への配慮から使用されていませんが、古い漆器に含まれるものは安定しており、安全に受け継がれています。
この赤と黒の美意識が融合し、紀州の根来寺で僧侶たちの法具や日常の器として発展しました。
『楯』(奈良県桜井市、大神神社蔵/重要文化財/鎌倉時代・嘉元元年(1303年))
神事の際に神前を守るための儀式用の楯。縦に細長く、丸みを帯びた上部の形状は現代のスノーボードのようにも見えます。左右一対で用いられ、それぞれ太陽と月を象り、天地の調和や永遠の生命力を表していると考えられます。日本最古級の記年銘をもつ神具として、極めて貴重な遺品です。
『黒漆瓶子』(奈良県宇陀市、惣社水分神社蔵/重要文化財/南北朝時代、貞和2年(1346年))
貞和2年の銘をもつ現存最古級の漆製瓶子(神前に供える酒器)。黒漆の深い光沢に朱漆で「御供酒瓶子」と記され、奉納した人々の信仰の篤さを今に伝えています。地元の神社の宝物が全国の展覧会で紹介されていることに、静かな誇らしさを感じました。
第二章 根来とその周辺
根来塗は、神仏への奉納具にとどまらず、修行や祈りを支える「実践の器」として僧侶の生活に根づきました。近年の発掘調査でも根来寺跡から多数の漆器が出土し、宗教と日常が一体となった工芸文化であったことが明らかになっています。会場では、光に照らされた器の朱が、まるで時を超えて語りかけてくるようでした。
『輪花盆』(大阪市立美術館蔵)
もしあなたがこの盆を手にしたら、どんな重みを感じるでしょうか?
赤漆の下から黒がわずかにのぞく、根来塗を代表する盆で、花弁のように波打つ縁の造形は、宋元時代の中国陶磁や木器に由来し、日本ではより穏やかで柔らかな造形へと発展しました。
長年の使用で朱の層がやわらかく摩耗し、黒の下地が浮かび上がるその姿は、まるで「時が描いた風景画」のようです。もとは法会の供物盆でしたが、後世には茶道具としても愛され、祈りと実用の美を兼ね備えた作品です。
『二月堂練行衆盤』(奈良県奈良市、東大寺蔵/重要文化財/鎌倉時代・文永5年(1268年))
東大寺二月堂の修二会(お水取り)で用いられた僧の食器。文永5年の銘をもち、記年のある漆器としても極めて古い例です。
器の内側には朱漆が施され、長年の使用で擦れて黒の下地が現れています。厳しい行を務めた僧たちが実際に手にした器であり、表面の摩耗や剥がれは偶然ではなく、祈りと時間が描いた意図ある景色。盤一枚一枚が自らの意思で化粧を施したような静かな気配がありました。
※画像は参考です。
第三章 根来回帰と新境地
戦国末期に一度衰退した根来塗は、江戸時代に再び脚光を浴び、茶人や文人に愛されるようになります。明治以降には柳宗悦らの民藝運動で「用の美」の象徴として再評価され、現代では伝統と創造が交錯する新たな表現へと展開しました。
『根来塗平棗』黒田辰秋(京都府京都市、鍵善良坊蔵)
黒田辰秋(1904–1982)は、日本の木工芸を現代に蘇らせた人間国宝であり、根来塗の精神を再定義した工芸家です。早くから根来の美に共鳴し、独自の研究によって古い根来の朱と黒の調和を現代の技法で再現しました。
祈りの道具としての漆器を「現代に生きる美」へと昇華させ、古典と現代を橋渡しする存在として、民藝運動にも深く関わりました。彼の根来塗は、時間の流れを内包する美の再構築ともいえる作品です。平棗(ひらなつめ)とは、茶道で抹茶を入れる小さな容器のことで、茶人に愛されたデザインとしても知られています。
『瑠璃の浄土』杉本博司(神奈川県小田原市、小田原文化財団蔵、2005年)
現代美術家の杉本博司(1948-)によるインスタレーション作品。古い漆器の経箱(仏教の経典を納めるための箱)に古墳時代のガラス玉を封じ、内部から青い光を放つように構成されています。
タイトルの「瑠璃浄土」は薬師如来の東方浄瑠璃世界を指し、癒しと再生の象徴。ガラスという透明な記憶の物質を“祈りの容れ物”に宿すことで、古代と現代、信仰と光が交錯します。
青く透き通る光が、朱と黒の世界を静かに包み込み、過去と現在が溶け合うような深い余韻が展示の最後を彩ります。
4.まとめ
この展覧会は、「赤と黒」というシンプルな対比の中に、時間の堆積がもたらす美しさを描き出していました。
根来塗の魅力は、作られた瞬間ではなく「使い込まれることによって完成する美」にあります。人々の信仰と暮らしの記憶が、その器の肌に刻まれているのです。
とくに地元・惣社水分神社の瓶子に出会えたことは忘れられません。根来塗の器は遠い過去の遺産ではなく、今も祈りとともに息づく「生きた漆器」です。
あなたなら、赤が剥がれて黒がのぞく瞬間に、どんな時間を感じますか?
5.展覧会情報
特別展「NEGORO 根来-赤と黒のうるし」
会場:大阪市立美術館(大阪市天王寺区茶臼山町1-82)
会期:2025年9月20日(土) 〜 2025年11月9日(日)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、9月22日は開館
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
観覧料:一般1,800円(前売・団体1,600円)、高大生1,300円(前売・団体1,100円)、中学生以下無料
巡回:サントリー美術館(2025年11月22日(土) 〜 2026年1月12日(月))


