ゴッホ展(大阪・東京・名古屋) ~ 家族がつないだ画家の夢 ~ 鑑賞記

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)といえば、世界で最も愛されている画家のひとりです。鮮烈な色彩、力強い筆づかい、そして見る人の心を揺さぶるその作品は、日本でも多くのファンを持っています。しかし、ゴッホの描いた絵が、なぜ今こうして私たちの前に現れ、世界中の人々を魅了し続けているのでしょうか?
その秘密は、彼の死後、一族によって大切に守られ、受け継がれてきたコレクションの存在にあります。

このたび大阪・東京・名古屋で開催される「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」では、ゴッホ家の人びとがどのように画家の作品と夢を守り、広め、現代まで繋いできたのか。その奇跡のような物語とともに、選りすぐりの作品約30点をはじめ、ゴッホ直筆の手紙や家族の歩みを伝える資料などがオランダ、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館から出展され、ゴッホ家のファミリー・コレクションにスポットを当てた、日本で初めての大規模展覧会となります。

1.家族の絆がつないだ奇跡のコレクション

ゴッホといえば、短い生涯のうちに約2,000点もの作品を残したことで知られていますが、その多くは生前にはほとんど評価されず、実際に売れた絵は「赤い葡萄畑(1888、ロシア、プーシキン美術館蔵)」だけだったといいます。そんなゴッホを支え続けたのが、4歳年下の弟・テオドルス(テオ)でした。テオはパリの美術商として働き、経済的な援助だけでなく、芸術の理解者として兄を精神的にも励まし続けました。兄弟がやり取りした膨大な手紙は、現在もゴッホ研究の貴重な資料となっています。

しかしゴッホは、1890年、37歳という若さでこの世を去ります。そのわずか半年後、テオも33歳で亡くなってしまいました。こうして残された膨大な作品と手紙は、テオの妻・ヨハンナ(愛称ヨー)の手に委ねられます。彼女は美術の世界に縁があったわけではありませんが、義兄フィンセントの作品が正当に評価される日を信じ、展覧会への貸出や販売、手紙の整理・出版など、孤軍奮闘しながら画家の名を世に広めました。

そして、テオとヨーの息子、フィンセント・ウィレム(愛称エンジニア)が家族の思いを引き継ぎます。彼は、家族のコレクションが散逸しないよう財団を設立し、オランダ政府やアムステルダム市の協力を得て、1973年に国立フィンセント・ファン・ゴッホ美術館(現ファン・ゴッホ美術館)の開館を実現させました。今や世界最大のゴッホ・コレクションを誇るこの美術館には、200点を超える油彩画と500点以上の素描・版画、そして家族が受け継いできた貴重な資料が所蔵されています。

2.ゴッホ作品の変遷を体感できる展示構成

今回の展覧会では、ゴッホ家のコレクションを軸に、画家の初期から晩年までの歩みを30点以上の代表作によって辿ることができます。大阪市立美術館の2階フロアすべてがゴッホ展の会場となっており、展示経路は北西の第11展示室から時計回りに第12(第1章)、第13(第2章)、第14展示室(第3章)、中央ホールを挟んで、第18(第3章)、第17(第4章、イマーシブ体験コーナー)、第16展示室(第5章)と展示が続き、最後に第15展示室が臨時のグッズショップとなっています。

ゴッホ作品は主に第3章と第4章に展示されており、オランダ時代の暗い色調で夕暮れの農家を描いた「小屋(1885年、Wikimedia commons」や、印象派の影響を受け色彩が鮮やかになったパリ時代の「グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶(1886年、Wikimedia commons」、「モンマルトル:風車と菜園(1887年、Wikimedia commons」、「画家としての自画像(1887年、Wikimedia commons」、

南仏アルルに移って描いた名作「種まく人(1888年、Wikimedia commons」、アルルでの耳切事件の後、療養院に入院していたサン=レミ時代の「木底の革靴(1889年、Wikimedia commons」、「羊毛を刈る人(ミレーによる)(1889年、Wikimedia commons」、「オリーブ園(1889年、Wikimedia commons」、

晩年のオーヴェール=シュル=オワーズ時代に手がけた「農家(1890年、Wikimedia commons」「麦の穂(1890年、Wikimedia commons」など、各時代の代表作が集結しています。

ゴッホ自筆の手紙は第5章に、その他にもゴッホ自身が強い影響を受けた日本の浮世絵が第2章、ゴッホ兄弟が収集した同時代に活躍した画家仲間の作品も第5章に展示されており、当時の芸術家同士の交流や、ヨーロッパ美術のなかでのゴッホの位置づけを肌で感じることができます。

3.ゴッホ家をめぐる人間ドラマ

本展では、ゴッホ家の3人のキーパーソンにスポットが当てられます。

テオドルス・ファン・ゴッホ(1857年 ~ 1891年)

通称:テオ。ゴッホの弟であり、精神的・経済的支えとなった人物。美術商としての知識やネットワークを活かし、兄の芸術活動を生涯にわたり支援しました。フィンセントの死後は、回顧展の開催に尽力するも、兄を追うように彼も早世します。

ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル(1862年 ~ 1925年)

テオの妻。夫と義兄の遺志を引き継ぎ、パリでの新婚生活のなかで美術の知識を磨きながら、ゴッホ作品の普及に奔走しました。展覧会への貸出や、経済的な理由も含めた一部作品の売却など、多くの困難を乗り越えながら、フィンセントの名声を確立していきます。1914年にはテオ宛てのフィンセントの手紙を出版、死去の前年には「ひまわり(1888年、Wikimedia commons」をロンドン・ナショナル・ギャラリーへ売却し、その評価を決定づけました。

フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(1890年 ~ 1978年)

テオとヨーの息子でフィンセントの甥。幼いころからゴッホの作品に囲まれて育ち、やがてコレクション管理の責任を負うようになります。1960年には財団を設立し、ゴッホ美術館の建設に尽力。コレクションの散逸を防ぎ、今も多くの人がゴッホ作品に触れられるようにした立役者です。

4.日本初公開の貴重な資料

本展の大きな魅力のひとつは、ゴッホ直筆の手紙4通が初めて日本で展示されることです。これらの手紙には、ゴッホがどのような思いで絵を描いていたのか、家族や仲間にどんな言葉を送ったのか、その人間味あふれる素顔が読み取れます。また、テオとヨーの会計簿や、作品がどのように売買・貸出されたのかを記録した資料も公開され、家族がどれほど苦労しながらも画家の夢を守り続けたかが、よりリアルに伝わってきます。

5.新感覚のイマーシブ・コーナー

会場内の第17展示室には幅14メートル超の大画面を使ったイマーシブ(没入)体験コーナーが設けられています。ファン・ゴッホ美術館の代表作「花咲くアーモンドの枝(1890、Wikimedia commons」や、3Dスキャンで再現された東京新宿、SOMPO美術館蔵の「ひまわり(1888、Wikimedia commons」などが超高精細画像で映し出され、まるで絵の中に入ったかのような感覚で鑑賞できます。ゴッホが「100年後の人々にも自分の絵を見てほしい」と願っていたというエピソードとも重なり、まさに未来へと受け継がれていく夢の実現を感じられるコーナーでした。

6.はじめての方にもおすすめの鑑賞ポイント

ゴッホ展をより楽しむために、はじめての方でもできる3つの見方をご紹介します。

○色のコントラストを探す
ゴッホは“補色”と呼ばれる反対の色どうしを並べて使うことが多く、絵画全体が独特の輝きを放っています。色の組み合わせやコントラストに注目してみてください。

○筆づかいを観察する
ゴッホ独特の太くうねるような筆づかいは、近くで見ると荒々しく、遠くから見ると全体が生き生きとしたイメージに変わります。いろいろな距離から鑑賞してみると新しい発見があるでしょう。

○キャプションや解説で「裏側のドラマ」を知る
展示されている作品には、それぞれどのような経緯で家族が守ってきたのか、誰がどの時期に所蔵していたのかなどが詳しく記されています。作品そのものだけでなく、その裏にある家族の物語にも思いを馳せてみてください。

7.混雑やチケット情報について

土日祝日は日時指定の優先入場制が導入されていますので、あらかじめ公式サイトで日時を予約しておくと安心です。平日は予約不要ですが、混雑時には入場制限がかかる場合があります。ゆっくり鑑賞したい方は、夕方以降(通常は17時まで。土曜日は19時まで開館)の来場を狙うのがおすすめです。

8.最後に

この展覧会は、絵画そのものの魅力はもちろんですが、作品を後世に伝えた家族の情熱や、奇跡のリレーともいえるドラマを体感できる特別な展覧会です。ゴッホを知っている方はもちろん、これまであまり馴染みがなかった方も、この機会にぜひ足を運び、色彩と筆致、そして“家族が守った画家の夢”に触れてみてはいかがでしょうか。
美術館という静かな空間で、100年前の“家族の願い”と、今この時代を生きる私たちが静かに出会う——そんなひとときを、ぜひ楽しんでください。

また今年度は、この展覧会以外にも、9月に神戸市立博物館で「阪神・淡路大震災30年 大ゴッホ展 夜のカフェテラス」(2025年9月20日(土)~ 2026年2月1日(日))が開幕し、クレラー=ミュラー美術館のコレクションが来日します。ゴッホの現存している油彩画は約850点、その内、ファン・ゴッホ美術館は約200点、クレラー=ミュラー美術館は約90点を所蔵しており、この2館がゴッホ作品の中枢を担うコレクションを持つといっても過言ではありません。両展覧会ともぜひ会場でご覧ください。


ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢

【巡回予定】
東京都美術館 2025年9月12日(金)~ 2025年12月21日(日)
愛知県美術館 2026年1月3日(土)~ 2026年3月23日(月)

大阪市立美術館 2025年7月5日(土)~ 2025年8月31日(日)(終了)

(情報は2025年7月時点の展覧会リリース・公式サイトと著者訪問時の情報に基づいています。ご来館前される前に最新情報を公式ページ等でご確認ください。)