1.展覧会概要
2025年秋、大阪市立美術館に天空を支える巨人アトラスが再び帰ってきます。
特別展「天空のアトラス イタリア館の至宝」は、2025大阪・関西万博のイタリア館での展示で話題を集めた名品が再集結する展覧会で、ナポリ、ペルージャ、ミラノの三都市の至宝が再び大阪に集います。
本展では、人類が長い歴史の中で探求してきた「宇宙」「信仰」「正義」「知識」という四つのテーマを軸に、古代からルネサンス、そして現代へとつながる精神の系譜をたどります。
芸術の中に息づく知恵と祈りを通して、イタリアが築いてきた文化の深層に触れることができる内容です。
2.出品作品の背景
本展を支えるのは、イタリアが誇る三つの文化拠点からの出品です。
ナポリ国立考古学博物館(ナポリ):イタリア第三の都市で、南イタリア最大の都市であるナポリ市にある博物館。ポンペイ、ヘルクラネウムの出土品やギリシア美術・ローマ美術の収蔵で著名。
ウンブリア国立美術館(ペルージャ):シエナやトスカーナの13~18世紀の絵画、とりわけ教会から運ばれた祭壇画を中心に全40室に4000点を飾る大規模な美術館。
アンブロジアーナ図書館(ミラノ):公開の図書館としては西洋史上3番目に古い図書館。
「芸術が生命を再生する」という理念を静かに受け継ぎながら、本展はより深く、人間の根源的な問いへと踏み込みます。
――人はなぜ、天を見上げ続けるのでしょうか?
3.見どころ・作品紹介
ファルネーゼのアトラス——星を担ぐ男
西暦2世紀/大理石/高さ193cm/ナポリ国立考古学博物館蔵(Photo: Lalupa / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)
大理石の肌に彫り込まれた星々は、今から約1800年前の天空を映しています。
『ファルネーゼのアトラス』は、ローマ教皇パウルス3世らを輩出した名門、ファルネーゼ家がルネサンス期に収集した「ファルネーゼ・コレクション」の一つで、ギリシャ神話の巨人アトラスが天球を背負う姿を表した、ヘレニズム期に制作されたオリジナル作品(ブロンズ製と思われる)をローマ時代に大理石で模刻したローマンコピー彫刻の最高傑作のひとつです。彼が担ぐ球体には、当時知られていた全88星座のうち40以上が精密に刻まれ、現在も確認できる星座も含まれており、天文学の資料としても貴重な存在です。
天を支えるという神話的モチーフを超えて、この作品には「人が世界を理解しようとする意志」が込められています。沈黙の中に宿るのは、知を求める重さ、そして世界を背負う孤独。光の角度によって浮かび上がる陰影は、まるで星座の軌跡のようにアトラスの背を流れます。
会場で見上げるその瞬間、観る者もまた「天空を支える一人」となる感覚に包まれるでしょう。そのとき、あなたは自分の肩にも、知らぬうちに重ねていた「世界の重み」を感じるかもしれません。
もしこの星を支えるのが自分なら、どんな空を描きますか?
ペルジーノ『正義の旗』——秩序のなかの祈り
1496年/油彩・カンヴァス/ウンブリア国立美術館(ペルージャ)蔵(Photo: Wikimedia Commons )
ラファエロの師であり、穏やかな色調と明瞭な構図で知られるピエトロ・ヴァンヌッチ(ペルジーノ)は穏やかな色調と明瞭な構図でルネサンスの理想を描き出した画家です。彼の代表作『正義の旗』は、その精神をもっとも端正なかたちで体現した宗教画といえるでしょう。
画面中央には聖母子が鎮座し、その周囲には祈りを捧げる正義兄弟会(中世ヨーロッパで生まれた、正義と慈悲を実践するキリスト教の信徒団体)の人々が整然と並びます。
聖母子や天使、信徒たちの衣の襞(ひだ)にまで丁寧に描かれた陰影は、彼らの静謐な信仰心を映し出し、背景の空は柔らかく溶け合うような青。遠くの山並みまで澄み渡り、見る者を内なる静けさへと導きます。
聖母子と天使のまわりに、顔と翼だけで表されたのは熾天使(セラフィム)と智天使(ケルビム)です。熾天使は神の愛の炎を象徴し、他の天使たちをもその愛で燃やす存在。天使階級の最上位に位置し、赤や金で描かれることが多いとされ、智天使は神の知恵と洞察を象徴し、真理を守護する天使。天使階級の第2位に置かれ、青や白で表現されます。
ちなみに、聖書に登場するミカエルやガブリエルは「大天使(アークエンジェル)」と呼ばれ、天使階級の第8位に位置します。一般に「天使」と呼ばれる存在は第9位、すなわち天使階級の最下位にあたります。
この作品には、15世紀イタリアが築き上げた「神と人、秩序と祈りの調和」が凝縮されています。
社会が揺らぐ現代にあっても、この絵が放つ穏やかな安定感は、時を超えて私たちの心を支えるもう一つの「正義」として静かに輝き続けています。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『アトランティコ手稿』——知の星図
アンブロジアーナ図書館(ミラノ)蔵(Photo: Wikimedia Commons )
第156紙葉『水を汲み上げ、ネジを切る装置』(1480年–1482年頃)
第1112紙葉『巻き上げ機と油圧ポンプ』(1478年頃)
レオナルド・ダ・ヴィンチの『アトランティコ手稿』は、デッサンと注釈から成る手稿集で、1478年から1518年の間に書かれたと考えられています。
その内容は、数学、幾何学、天文学、植物学、動物学、土木工学、軍事技術の他、多岐の分野にわたり、現在は、1119紙葉が革装12巻にまとめられています。
彼の思考が最も純粋な形で記された記録であり、紙の上に流れるインクの線は、旋律のようにリズムを刻みながら、精緻な機械の構造を描き出しています。
ここに描かれているのは、単なる機械の設計図ではありません。彼が見ようとしたのは、「水を動かす力」や「空気を圧縮する仕組み」といった、自然界の摂理そのもので、彼にとって科学と芸術は対立するものではなく、どちらも「世界を理解するための言語」でした。※画像は今回展示されているものと異なります。実際に展示されている作品についてはこちらをご覧ください。
この手稿が日本で初公開される意義は大きく、約500年前のスケッチに刻まれた線を通して、私たちは「知の起源」に触れることになります。一枚のスケッチの中に、未来のテクノロジーと人間の想像力の原点が同居しており、それに刻まれた線を追うとき、私たちの中にも、同じ「知への衝動」が目を覚ますようです。
4.まとめ
特別展「天空のアトラス イタリア館の至宝」は、私たちが忘れかけている「文化の尊厳を取り戻すための機会」として訪れるべき展覧会だと思います。ここに展示されるのは、瞬間的な熱狂や華やかな演出ではなく、何千年ものあいだ人間が積み重ねてきた知と祈りの痕跡です。
現在、「未来」や「いのち」という言葉が、あまりにも軽く語られるようになりました。けれど、ここに集う作品たちは、その言葉が本来持っていた静かな重みを思い出させてくれます。
『ファルネーゼのアトラス』は、世界の重みを引き受ける人間の覚悟を。
ペルジーノの『正義の旗』は、信じるという行為の揺るぎない強さを。
そして、ダ・ヴィンチの『アトランティコ手稿』は、知を通して「いのち」を支えようとする意志を――。それぞれのかたちで私たちに示してくれています。
アトラスが支えるのは、天球だけではありません。それは、私たちがこの時代に背負っている、見えない空でもあります。
目の前の作品に耳を澄ませることよりも、話題の中心に自分を置きたがる――そんな時代にあって、この展覧会の静けさはむしろ貴重なのかもしれません。
どうしようもなく不確かな現在だからこそ、古代の大理石の冷たさとルネサンスの祈り、そしてダ・ヴィンチの線に宿る探求の熱に触れることで、『いのちが本当に輝くとはどういうことか』を、もう一度考えたくなるのです。
次は、あなた自身の『天空の地図』を探す旅へ出掛けることぜひお勧めします。
5.展覧会情報
特別展:「天空のアトラス イタリア館の至宝」
この展覧会は展示数は少ないですが、かなり混雑が予想され、日時指定予約優先制が導入されています。
※2025年10月20日確認時点で、大阪市立美術館の公式ホームページには、
日時指定予約、全日程のオンラインチケットが売り切れ
との案内が掲載されていました。来場を検討される方は、最新の情報を事前にご確認ください。
会場: 大阪市立美術館(大阪市天王寺区茶臼山町1-82/天王寺公園内)
会期: 2025年10月25日(土)~ 2026年1月12日(月)
開館時間: 9:30 〜 17:00(入館は16:30まで)
休館日: 月曜日(祝日の場合は開館、翌平日休館)、12月29日 ~ 1月2日
観覧料: 一般1,800円/高大生1,500円/小中生500円


