1.展覧会概要
「印象派」と聞くと、野外で光や大気を描いた風景画を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。 しかし本展「印象派――室内をめぐる物語」では、そんな印象派の画家たちが“内なる世界”に目を向けた「室内」という空間に焦点を当てます。
閉じられた部屋に差し込む光や影のなかに、画家の呼吸や心の動きを感じながら、そこに漂う感情や人物の佇まいを手がかりに、印象派のもうひとつの魅力を再発見できるでしょう。
本展では、19世紀絵画を多く所蔵するオルセー美術館の傑作約68点を中心に、国内外の重要作品を加えた約100点を展示予定。オルセー美術館からこれほどの規模で作品が来日するのは約10年ぶりで、印象派の新たな側面に出会える絶好の機会です。
2.展示の背景・意義
印象派と室内の関係
「印象派」といえば屋外での制作が思い浮かびますが、実は室内を描いた作品こそ、彼らの感性がもっとも繊細に表れた場でもありました。 1870年代のパリでは都市の近代化が進み、人々の関心は外の風景から家庭や生活の内側へと移っていきます。 静かな室内の光や家具の影、佇む人の姿の中に、画家たちは心の揺らぎや親密な時間を描き出しました。
オルセー美術館とは…
オルセー美術館は、パリにある19世紀美術の殿堂。1848年の二月革命から1914年の第一次世界大戦までの作品を中心に、フランス近代美術の流れを体系的にたどることができます。
モネ、ルノワール、ドガ、マネ、セザンヌ、モリゾら印象派の代表作が揃い、19世紀後半の芸術革新を今に伝えています。1900年のパリ万博のために建てられた旧オルセー駅舎を改装した建物は、鉄とガラスが織りなす光のアーチが印象的で、訪れる者を近代の記憶へと誘います。
3.見どころ・作家と作品紹介
本展の特徴
印象派の画家たちが「室内」に込めたまなざしを、肖像、家族、日常生活、外光、装飾性といったテーマでたどります。光の移ろいや人の心の揺れが、閉ざされた部屋の中でどのように息づいているのか。小さな空間の中に広がる「もうひとつの印象派」の世界を体感できる構成です。
第1章 肖像と家族の肖像画
鑑賞テーマ:人物を通して室内に宿る人間ドラマを観る。
印象派にとって肖像は、室内という舞台で人物の内面や関係性を描くための最前線でした。
ドガ『家族の肖像(ベレッリ家)』(1858-1869年)(photo:wikimedia commons public domain)では、喪服の叔母、背を向ける伯父、姉妹の配置が家族の緊張と距離を静かに語ります。
マネ『エミール・ゾラの肖像』(1868年)(photo:wikimedia commons public domain)は、机上の小物や壁に掛かる絵が知的な絆と時代の精神を映し出す肖像です。光と視線の交わりの中で、人と人との関係が浮かび上がる――それがこの章の見どころです。
鑑賞ポイント:『家族の肖像(ベレッリ家)』では黒いドレスの量感や人物の距離感、『エミール・ゾラ』では机上の配置に注目して見てください。
この静かな室内で、あなたは誰の視線をいちばん強く感じるでしょうか?
第2章 日常の情景・親密な室内風景
鑑賞テーマ:家庭の中にある穏やかな時間と光のぬくもりを感じる。
印象派の画家たちは、家族との語らい、読書、音楽の演奏といった穏やかな日常を繊細に描きました。ルノワール『ピアノを弾く少女たち』(1892年)(photo:wikimedia commons public domain)は、微笑み合う姉妹が奏でる音楽を暖色の筆致で可視化した傑作です。上流家庭の象徴であるピアノを通して、文化的で理想化された家庭像を描き出しました。また、針仕事や読書を描いた作品には、女性たちの静けさと、光に包まれた内面的な安らぎが漂います。
鑑賞ポイント:鍵盤と袖口の白の響き合い、光が頬に落ちる一瞬を探してみてください。
あなたがもしこの部屋に立ったなら、まず音の温もりに惹かれますか? それとも光のきらめきに目を奪われるでしょうか?
第3章 室内と外光・ガラス・温室
鑑賞テーマ:内と外が溶け合う「光の境界」を観る。
印象派の画家たちは、外光や自然を室内に取り込み、内と外のあわいに新たな表現の可能性を見いだしました。アルベール・バルトロメ(英語版)『温室の中で』(1881年頃)(photo:wikimedia commons public domain)は、明るい戸外からほの暗い温室へと足を踏み入れようとする妻の姿を描いた作品です。透明なガラス越しに交錯する光と影が、室内と外界の境界をやわらかく溶かしています。温室は当時流行した「近代的インテリア」であり、自然と人工が交わる象徴でもありました。
鑑賞ポイント:明暗の境目と人物の立ち位置に注目してください。
ガラスの向こうの光、あなたには冷たく見えますか? それとも温かく感じますか?
第4章 装飾性・空間を覆う画面
鑑賞テーマ:装飾と自然が融合し、絵画が空間そのものになる。
19世紀後半、絵画と装飾芸術の境界が揺らぎ、印象派の画家たちも室内装飾や色彩の調和に強い関心を寄せるようになりました。モネ『睡蓮』は、その到達点を示す象徴的な作品です。自邸の装飾として構想された連作は、やがてオランジュリー美術館の「睡蓮の間」に結実し、四方を包み込むような水面の画面によって、室内にいながら自然の中に沈み込むような体験をもたらしました。本展では、松方幸次郎がモネから直接購入した、国立西洋美術館の至宝『睡蓮』(1916年)(photo:著者撮影)が展示されます。
鑑賞ポイント:画面端で波紋が切れずに続いている構成に注目し、水面の揺らぎがどこへ流れていくのか、視線でたどってみてください。
この静かな水面に立つとしたら、あなたにはどんな音が聞こえてくるでしょうか?
コラム:西洋美術館の至宝 ルノワール『アルジェリア風のパリの女たち』
今回の展覧会で紹介される印象派の室内画と深く響き合う作品が、国立西洋美術館のコレクションにもあります。 それが、ルノワール『アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)』(1872年)(photo:著者撮影)です。
この作品は、彼の初期の代表作にして、印象派がまだ形を成す前の「前夜」を象徴する一枚です。
当時彼は官展(サロン)に出品しており、この作品もその出品作の一つで、そこにはすでに後の印象派を特徴づける「光」「色」「筆触」の萌芽が見られます。金や赤を基調とした装飾的な背景や、衣装に反射するやわらかな光には、ドラクロワらの影響を受けながらも、ルノワール独自の感性が息づいています。後の『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年)へと続く「光の時代」への入口に立つ作品といえるでしょう。
さらにこの作品は、戦後、フランスから日本に松方コレクションが返還される際、ゴッホ『ファンゴッホの寝室』(1889年)との二択の末に日本へ帰ってきた「運命の一枚」としても知られています。ゴッホが描いたのは「心の現実」としての部屋、ルノワールが描いたのは「想像と憧れ」の部屋。日本が選んだのは、後者――夢と調和の象徴でした。
ぜひ、この作品もあわせてご覧ください。
4.まとめ
閉じた空間に差し込む光、人物の視線、装飾と自然の交わり――。 印象派の画家たちは、室内という身近な舞台で、外の風景とは異なるもうひとつの世界を描き出しました。彼らは「外光の画家」であると同時に、「内なる光の探求者」でもあったのです。 本展は、その静かな探求の軌跡をたどる絶好の機会。 どうぞ、作品の前で「内なる光」に耳を傾けてみてください。
同じく10月25日からは、国立西洋美術館で、中世からルネサンスを見つめる小企画展(フランドル聖人伝板絵、デューラー版画)が開幕します。
ぜひあわせて巡り、時代を超えてつながる美術史の「線」を感じてみてください。
5.展覧会情報
会場:国立西洋美術館 企画展示室
会期:2025年10月25日(土)〜 2026年2月15日(日)
開館時間:9:30〜17:30(金曜・土曜は20:00まで開館)
休館日:月曜(ただし11/3,11/24,1/12,2/9は開館)・11/4・11/25・年末年始・1/13
観覧料:一般2,300円(前売2,100円)/大学生1,400円(前売1,300円)/高校生1,000円(前売900円)/中学生以下無料・障害者手帳保持者無料等


