東京、上野の国立西洋美術館で開催中の「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展」に行ってきました。約80点と展示作品は充実しており、イタリア、フランス、ドイツ、ネーデルラントと国ごとに分けて展示されており、会場を歩くたびに空気が切り替わっていく感覚がありました。
油彩画や水彩画、テンペラ画といった完成作品が主役になりがちな西洋美術の展覧会において、素描をこれほどまとまって鑑賞できる機会は日本ではきわめて稀です。完成作では見えにくい作家の思考や息遣いが紙の上にそのまま残されており、「下絵」として片付けるには惜しいほどの表現の豊かさを実感することができました。
1.素描と画材について
素描には鉛筆、ペン、チョーク、インク、さらにはウォッシュ(薄く溶いたインクや絵具を重ねる技法)など、多彩な画材が用いられます。温もりのある赤チョーク、硬質で引き締まった線を生む黒チョーク、自在な筆さばきが可能なインク、強調や光を表す白のハイライト――それぞれの画材が持つ特性が、作家の個性を際立たせます。
今回の展示では、国ごとに好まれる画材や技法が異なることが鮮明に示され、画材の選択そのものに地域性が反映されていることを強く感じました。
2.国別の傾向と作例
このページではイタリアとフランスの作品から、特に印象に残った4人の作家を取り上げます。
イタリア ~均整と運動感~
イタリアでは赤チョークが広く用いられ、人体表現に温かみを与えました。とくにヴェネツィア派では、インクとウォッシュによる即興的でダイナミックな表現が好まれました。
○アニンバレ・カラッチ(1560年~1609年)
「バロックの扉を開けた均衡の画家」
時代・ジャンル:バロック初期、ボローニャ派
背景・功績:ボローニャに美術アカデミーを設立し、古典的な均衡と自然観察を重んじる新しい教育を広めました。ローマのファルネーゼ宮殿天井画を手がけ、バロック美術の幕開けを告げた存在として知られます。
作品紹介:展示されていた「画家ルドヴィーコ・カルディ(チゴリ)の肖像」は、赤チョークと褐色インクを組み合わせ、端正かつ柔らかな印象でまとめられていました。彼の代表作、「豆を食べる人」(1583年、コロンナ絵画館、ローマ)に見られる、スナップ写真のように自然で生き生きとした表現とも響き合い、素描であっても彼の理知的な均衡感覚がしっかりと宿っていることを実感しました。
○ドメニコ・ティントレット(1560年~1635年)
「群像を駆ける、ヴェネツィア後期の熱気」
時代・ジャンル:後期ルネサンス~マニエリスム、ヴェネツィア派
背景・功績:ヴェネツィア派の巨匠ヤコポ・ティントレットの子。ヴェネツィア共和国の公式行事や宗教画を数多く手がけ、父譲りの迫力に加えて、より整然とした秩序を持つ画風を築きました。
作品紹介:「ウィルギニアの死」は、ペンとインクの力強い線にウォッシュを重ねた群像表現が特徴です。画面全体に渦を巻くような動きが生まれ、ヴェネツィア派特有のダイナミズムが鮮烈に表れています。その作風は、父ヤコポ・ティントレットの代表作「最後の審判」(ヴェネツィア、 マドンナ・デッロルト教会)を彷彿とさせ、世代を超えて受け継がれたヴェネツィア後期の熱気を感じさせました。
フランス ~装飾性と幻想性~
フランスでは、ペンと褐色インクに赤や黄のウォッシュを重ねる装飾的な手法が目立ちます。優雅な線と装飾性が重視され、舞台美術や衣装デザインにも直結しました。
○フランチェスコ・プリマティッチオ(1504年~1570年)
「フォンテーヌブローの装飾詩人」
時代・ジャンル:マニエリスム、フォンテーヌブロー派
背景・功績:イタリア出身の画家でフランスに招かれ、フォンテーヌブロー宮殿の装飾に参加、ルネサンス美術をフランス宮廷に根付かせ、装飾性と流麗な人物描写で知られます。
作品紹介:「アレクサンドロスとレストリス」は、ペンと褐色インクに赤・黄のウォッシュを施し、下描きには黒チョークの痕跡も見られる一枚です。舞台衣装や宮廷装飾の設計図のような性格を持ち、代表作「フォンテーヌブロー宮殿の壁画群」と合わせて見ることで、素描が当時の宮廷文化と直結していたことが理解できます。
○ジャック・カロ(1592–1635)
「銅板に刻んだ戦争と人間喜劇」
時代・ジャンル:バロック期版画家、ロレーヌ公国出身
背景・功績:エッチング技法を革新し、戦争の惨禍から大道芸人の戯画まで幅広いテーマを精緻に銅板へ刻みました。代表作の「戦争の惨禍」は社会批評的版画の先駆けとして高く評価されています。
作品紹介:「聖アントニウスの誘惑」は、細密な線描と幻想的なウォッシュ、そして白のハイライトによって、奇怪な生物や渦巻く空気感を生々しく描き出しています。版画に比べて即興性が強く、カロのユーモラスで批評的な精神が素描からも力強く伝わってきました。
素描展②では、ドイツの精緻さと構築性と、ネーデルラントの自然観察と光の表現を重視した作品を紹介します。
【関連ページ】
スウェーデン国立美術館 素描展 鑑賞記② ドイツ・ネーデルラント編
【展覧会情報】
スウェーデン国立美術館 素描コレクション展 ~ルネサンスからバロックまで~
会期:2025年7月1日(火)〜9月28日(日)
会場:国立西洋美術館 特別展示室
開館時間:通常 9:30〜17:30 (金・土:〜20:00)
※入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日 9月16日(含まれる祝日は開館)
観覧料:一般:2,000円 大学生:1,300円 高校生:1,000円
中学生以下・障がい者手帳保持者+付き添い1名:無料


