一枚の絵を見るために、これほど多くの人がチケット販売サイトへアクセスすることがあるのでしょうか。
2026年8月21日から大阪中之島美術館で開催される「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展」。
6月15日にチケットの先行販売が始まると、すぐにアクセスが集中しました。私が12時の販売開始直後にアクセスした時点で、画面に表示された待機人数は3万人を超えていました。
その後、待機列は一時停止。私が実際に購入ページへ進めたのは、販売開始から約11時間後の23時過ぎでした。さらに、長い時間をかけて購入画面へたどり着いても、決済時にエラーが発生するなど、チケットを手に入れること自体が一つのイベントのような状態になりました。
それほどまでに、ヨハネス・フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》は高い知名度を持ち、強い関心を集めています。
少女の顔を見れば、作品名や作者を知らなくても、「どこかで見たことがある」と感じる人は多いでしょう。本展の中心がこの作品であることに、異論はありません。
しかし、この一作だけを見て帰るには、今回の展覧会は少し惜しい構成です。公式サイトによると、出品されるのはオランダ・ハーグにあるマウリッツハイス美術館の所蔵作品、全12点。決して大規模な展覧会ではありません。
しかし、その展示空間には、歴史画、肖像画・トローニー、風俗画、教会内景画、風景画、静物画という、17世紀オランダ絵画の多様な世界が凝縮されています。
――フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》を見に行き、17世紀オランダ絵画を好きになって帰る。
そんな気持ちになってもらえるように、この記事では、この展覧会の歩き方を考えてみたいと思います。
- フェルメール《真珠の耳飾りの少女》と、初期の神話画《ディアナとニンフたち》
- マウリッツハイス美術館の名品全12点でたどる、17世紀オランダ絵画
- レンブラントのトローニーとヤン・ステーンの風俗画から見る、人間表現の広がり
- 教会内景画、動物画、花卉静物画まで、市民社会が生んだ多様な絵画ジャンル
- マリア・ファン・オーステルウェイクの華麗な花に潜む、衰えとヴァニタスの気配
全12点 ―― 小さなマウリッツハイス美術館展
本展には、フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》と《ディアナとニンフたち》をはじめ、レンブラント、ヤン・ステーン、エマヌエル・デ・ウィッテ、パウルス・ポッテル、マリア・ファン・オーステルウェイクらの作品が出品される予定で、展示点数は全12点です。
過去に開催された、多数の作品を次々と見て回る大型のフェルメール展を想像すると、その規模の小ささに驚くかもしれません。
一方で、本展を「フェルメール2点と、その他10点」と捉えるのではなく、マウリッツハイス美術館が得意とする17世紀オランダ絵画の魅力を圧縮した、少数精鋭の選抜展と考えると、印象は変わるのではないでしょうか。
マウリッツハイス美術館とは
マウリッツハイス美術館は、オランダのデン・ハーグにある、17世紀のオランダ・フランドル絵画で知られる美術館です。
ルーヴル美術館のように、古代から近代までを網羅する巨大な総合美術館ではありません。コレクションの規模よりも、名品の密度で知られる美術館です。
所蔵している代表作には、フェルメール《真珠の耳飾りの少女》はもちろん、《デルフトの眺望》、カレル・ファブリティウス《ゴシキヒワ》、パウルス・ポッテル《牡牛》、そしてレンブラントの集団肖像画の傑作《テュルプ博士の解剖学講義》などがあります。
今回、《デルフトの眺望》や《テュルプ博士の解剖学講義》は来日しませんが、それでも、マウリッツハイス美術館が、単なる「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》だけの美術館」ではないことは、覚えておきたいところです。
画像:マウリッツハイス美術館 イメージ画 著者作成
なぜ17世紀のオランダで、多様な絵画が生まれたのか
17世紀オランダで起きたのは、単に新しい画家が次々と登場したということではありません。それまで王侯貴族や教会を中心としていた絵画の注文が、都市に暮らす市民へと大きく広がったことでした。
フェルメールやレンブラントが活躍した17世紀は、オランダ共和国が海運、貿易、金融を背景に急速な発展を遂げた時代です。
商人、医師、法律家、醸造業者、職人、都市の役人など、経済力を持った市民が盛んに絵画を購入するようになりました。
絵画は、宮殿や教会だけに置かれるものではなく、市民が自宅に飾り、自らの生活や価値観を映す商品にもなっていきます。
新しい買い手が増えれば、求められる絵も変わります。
聖書や神話を描く歴史画だけでなく、市民の肖像、静かな室内、家族の騒ぎ、都市の教会、海や農村の風景、花、食べ物、動物までが、それぞれ独立した絵画の主題となりました。
今回の出品作が、一見するとばらばらに見えるのはそのためです。
フェルメールの女神と少女、レンブラントの笑う男、ヤン・ステーンの騒がしい家族、デ・ウィッテの聖堂、ポッテルの牛、オーステルウェイクの華麗な花々。
それぞれが、市民による絵画市場の成長によって細分化された、17世紀オランダ絵画の一つのジャンルを示しています。
17世紀オランダの「黄金時代」と日本の関係
1602年に設立されたオランダ東インド会社は、ヨーロッパとアジアを結ぶ広大な交易網を築き、日本とも長崎を窓口として関係を結びました。
いわゆる「鎖国」の時代にも、日本が海外との関係を完全に断っていたわけではありません。江戸幕府は交易相手と窓口を厳しく制限しましたが、キリスト教の布教を目的としないプロテスタント国であったオランダには、長崎の出島を通じた交易を認めました。
そのためオランダは、江戸時代の日本において、交易を許された唯一の西欧国家として、西洋の文物や情報を伝える重要な接点となりました。
日本からは銀や銅、陶磁器、漆器などが輸出され、オランダ側からは書物、薬品、科学器具、海外情報などがもたらされます。
フェルメールがデルフトの室内を描き、オーステルウェイクが花瓶の中にさまざまな花を集めていた頃、オランダの船は遠く離れた長崎まで来ていたのです。
ただし、この時代を表す「黄金時代」という言葉は、明るい繁栄だけを意味するものではありません。
オランダの海外進出は、植民地支配や奴隷貿易とも深く結び付いていました。マウリッツハイスの建物を私邸として建てたヨハン・マウリッツも、オランダ領ブラジルの統治者を務め、その支配は奴隷制と奴隷貿易の上に成り立っていました。
静かな室内や華麗な花束の外側には、世界を結ぶ船と市場がありました。そして、その繁栄を支えた植民地支配と搾取の歴史もまた、忘れることはできません。
展覧会で見る17世紀オランダ絵画
フェルメール《ディアナとニンフたち》 ―― もう一人のフェルメール
フェルメールと聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、窓から柔らかな光が差し込む静かな室内でしょう。ところが、この《ディアナとニンフたち》は、そのイメージから大きく外れます。
描かれているのは、ローマ神話の女神ディアナと、その周囲に集うニンフたちです。フェルメールが20代前半に描いたと考えられる最初期の作品で、現在知られているフェルメール作品のうち、神話を主題とする唯一の絵画です。
後年の室内画に見られる明快な光や、幾何学的に整理された空間とは異なり、画面には夕暮れのような暗さと、静かな重みがあります。女神たちは劇的な物語を演じるのではなく、森の空地で身を寄せ合い、穏やかな時間を過ごしています。
この作品は、かつてレンブラントの弟子ニコラース・マースの作品と考えられていました。しかし、19世紀の修復時に、別人の署名の下から「JVMeer」というモノグラムが見つかり、フェルメールの作品と判明します。
フェルメールは、最初から私たちの知る「光と室内の画家」だったわけではありません。《真珠の耳飾りの少女》を見る前に《ディアナとニンフたち》を見ることで、完成された画家像の裏側にある、若いフェルメールの模索が見えてきます。
画像:ヨハネス・フェルメール《ディアナとニンフたち》1653〜54年頃、マウリッツハイス美術館蔵/Wikimedia Commons(Public Domain)
レンブラント《笑う男》――《真珠の耳飾りの少女》とは正反対のトローニー
金箔で覆った銅板に描かれた男性は、口を開き、顔いっぱいに笑みを浮かべています。レンブラント《笑う男》は、縦15.3センチ、横12.2センチという小さな作品です。
これは特定の人物の人生や社会的地位を伝える肖像画ではありません。表情、衣装、人物の型などを研究する「トローニー」と呼ばれる絵画です。
《真珠の耳飾りの少女》もまた、特定の少女を描いた肖像画ではなく、トローニーに分類されます。
しかし、両者の印象はまるで違います。
フェルメールの少女は、暗闇の中で振り向き、開きかけた唇のまま静止しています。レンブラントの男は、笑いによって頬も目元も大きく動き、顔の形そのものが崩れそうです。
――一方は、感情が表面へあふれ出す瞬間。もう一方は、何を感じているのか決められない沈黙の瞬間。
同じトローニーを並べて鑑賞することで、レンブラントとフェルメールが、人間の顔と身体をどのように捉えていたのか、その違いが鮮明になります。
画像:レンブラント・ファン・レイン《笑う男》1629〜30年頃、マウリッツハイス美術館蔵/Wikimedia Commons(Public Domain)
ヤン・ステーン《老いが歌えば若きが笛吹く》 ―― 静かな家庭ばかりではない
フェルメールの室内が静かすぎると感じる人には、ヤン・ステーンの作品がおすすめです。
《老いが歌えば若きが笛吹く》には、複数の世代が集まり、酒や音楽を楽しむ賑やかな家庭の光景が描かれています。
――大人は酒を飲み、煙草を吸い、子どもはその姿を見ている。そして画家自身も画面中央に登場し、模範になるどころか、自ら子どもに煙草を吸わせようとしている――。
題名は、「年長者が歌えば、若者が笛を吹く」というオランダのことわざに由来します。
――大人の振る舞いを、子どもはそのまま真似る。
一見すると陽気な家族の場面ですが、その奥には、親や年長者の行動は次の世代へ受け継がれるという教訓が仕込まれています。
フェルメールの室内では、人は手紙を読み、楽器を奏で、静かに何かを考えていますが、ヤン・ステーンの室内では、人が集まり、飲み、笑い、騒ぎます。
17世紀オランダの家庭が、いつも静謐だったわけではありません。
画像:ヤン・ステーン《老いが歌えば若きが笛吹く》1663〜65年頃、マウリッツハイス美術館蔵/Wikimedia Commons(Public Domain)
エマヌエル・デ・ウィッテ《想像のカトリック聖堂の内部》 ―― 空間そのものを描く
エマヌエル・デ・ウィッテの《想像のカトリック聖堂の内部》は、実在する建築を正確に記録した作品ではありません。
絵画の中で複数の建築的要素を組み合わせ、現実には存在しない壮大な聖堂空間を作り上げています。
宗教改革を経験し、プロテスタントが社会の中心となったオランダで、カトリック聖堂の空間が鑑賞用の絵画として描かれる。そのねじれも興味深いところです。
ここでは宗教的な物語だけでなく、天井の高さ、柱の連なり、差し込む光、人々が行き交う距離など、「空間そのもの」が絵画の題材となっています。
デ・ウィッテが描いたのは、単なる建築の記録ではありません。実在と想像を組み合わせ、光と人物によって空間そのものに物語を与えています。こうした建築空間への関心は、のちにユベール・ロベールらが描いたフランスの廃墟画にも通じるものがあります。そこでは建築は背景ではなく、時間や記憶を背負う主役となっていきました。
画像:エマヌエル・デ・ウィッテ《想像のカトリック聖堂の内部》1668年、マウリッツハイス美術館蔵/Wikimedia Commons(Public Domain)
パウルス・ポッテル《水に映る牛》 ―― 牛が絵画の主役になる
パウルス・ポッテルの《水に映る牛》では、牛が堂々と画面の中心に置かれます。
――王でも聖人でもなく、牛です。
しかし、動物の体つきや毛並み、水面への反射、周囲の農村風景を丁寧に見ていくと、土地とともに生きる人々の生活が浮かび上がります。
ポッテルは、風景の一部だった動物を、絵画の主役へ押し上げた画家でした。
動物を風景の一部ではなく、独立した主役として描くポッテルの視点は、後世の動物画にも大きな道を開きました。さらに、農村の土地や家畜を人間の生活と結び付けて見つめる姿勢は、19世紀フランスのバルビゾン派が描いた農村風景にもつながっていきます。
画像:パウルス・ポッテル《水に映る牛》1648年、マウリッツハイス美術館蔵/Wikimedia Commons(Public Domain)
マリア・ファン・オーステルウェイク《装飾的な壺の花》 ―― 美しい花に宿るヴァニタス
マリア・ファン・オーステルウェイクの《装飾的な壺の花》は、まず圧倒的に華やかな絵です。
ヒマワリ、バラ、ケシ、ユリ、アイリスなど、異なる季節に咲く花々が、一つの壺からあふれ出しています。
これは、目の前に活けられた花々をそのまま写したものではありません。異なる季節の花を一つずつ観察し、素描や記憶を組み合わせて作り上げた、現実には存在しない理想の花々です。
ヤン・ブリューゲル(父)やアンブロシウス・ボスハールトらが発展させたフランドル・オランダの花卉画では、花瓶に活けられた花々は小さな宇宙でした。
そこには、一本一本の植物を描き分ける観察力、珍しい花を知る教養、それらを所有できる富が詰め込まれています。
けれど、この絵は、満開の生命だけを描いたものではありません。
花々の中には、すでに萎れかけた葉があります。葉の縁には傷みが見え、花や葉の周囲には小さな虫も描き込まれています。花はもっとも美しい瞬間に集められている。しかし、その美しさの中では、すでに衰えが始まっています。
――咲くことと枯れること。生命と死。富と喪失。
こうした、美や富、生命が永遠には続かないことを示す表現は、17世紀の静物画に見られる「ヴァニタス」の思想にも通じています。オーステルウェイクは、それらを別々のものとして描くのではなく、一つの花々の中へ同時に置きました。
絵の中の花は枯れません。しかし、枯れない絵だからこそ、現実の花が枯れていく時間を強く意識させるのです。
画像:マリア・ファン・オーステルウェイク《装飾的な壺の花》1670〜75年頃、マウリッツハイス美術館蔵/Wikimedia Commons(Public Domain)
フェルメール《真珠の耳飾りの少女》 ―― 最後に見る一枚
フェルメール《真珠の耳飾りの少女》は、分かりやすい絵ではありません。
肖像画のようでいて、誰を描いたのかは分からない。物語画のようでいて、その前後に何が起きたのかも示されません。
少女は暗闇からこちらを振り返り、何かを言おうとするように、唇をわずかに開いています。
青いターバンは、当時のオランダの日常的な服装ではありません。耳元に輝く大きな装飾品も、実際に真珠を描いたものなのか、別の素材を想定しているのか、はっきりとは分かりません。
――描かれている情報は、驚くほど少ない。
背景には部屋も風景もなく、少女の名前も身分も物語もありません。わずかな光だけが、瞳、唇、耳飾りに置かれています。この作品の魅力は、「美しい少女」という分かりやすさだけではなく、何も決まりきらない奇妙さにあるのではないでしょうか。
誰なのか分からない。何を考えているのか分からない。それでも、こちらを見ている。
《ディアナとニンフたち》、レンブラントの笑う男、ヤン・ステーンの騒がしい家族、デ・ウィッテの聖堂、ポッテルの牛、オーステルウェイクの花束を見たあとで《真珠》へたどり着けば、この少女もまた、孤立した奇跡ではなくなります。
――顔、身体、光、物質、交易、都市、市民文化。
17世紀オランダが育てた多様な絵画の中から生まれた、一つの不思議な像として見えてきます。
画像:ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》1665年頃、マウリッツハイス美術館蔵/Wikimedia Commons(Public Domain)
《真珠の耳飾りの少女》を見に行き、17世紀オランダを好きになって帰る
《真珠の耳飾りの少女》が、本展の中心作品であることは間違いありません。しかし、その周囲には、笑う男、騒がしい家族、架空の聖堂、水辺の牛、そして生と死を同時に宿した花々が控えています。
全12点という小さな展覧会だからこそ、それぞれの作品が持つ個性と、ジャンルの違いが見えやすいともいえます。
《真珠の耳飾りの少女》を見るために、足を運んでも構いません。
ただ、そこへ向かう途中で、少しだけ立ち止まってみてください。
――《真珠の耳飾りの少女》を見に行き、17世紀オランダ絵画を好きになって帰る。
それが、この小さな展覧会にもっとも似合う鑑賞法なのかもしれません。
開催概要・チケット情報
| 展覧会名 | フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展 17世紀オランダ絵画の名品、奇跡の再来日 |
|---|---|
| 会期 | 2026年8月21日(金)~ 2026年9月27日(日) |
| 休館日 | 会期中無休 |
| 開場時間 | 9:30~17:00(入場は16:30まで) |
| 夜間開館 | 8月28日、9月4日、9月11日、9月18日~27日は20:00まで(入場は19:30まで) |
| 会場 | 大阪中之島美術館 5階展示室 |
| 住所 | 大阪市北区中之島4-3-1 |
| 観覧料 | 一般3,000円、高大生1,500円、小中生500円 |
チケット情報
本展は日時指定制です。
6月15日のtabiwa先行販売ではアクセスが集中し、長時間の待機やシステムの一時停止が発生しました。その後、当初予定されていた来場期間別の先着販売は中止され、全会期分を対象としたチケットぴあの抽選販売へ変更されました。チケットぴあによる一般抽選の受付は、2026年7月14日から7月21日まで実施され、現在は終了しています。
チケットぴあで購入された対象券については、公式リセールサービスが案内されています。リセールに出品されたチケットがある場合に限り、来場日前日まで正規価格で購入できます。
なお、tabiwa先行販売、tabiwaトラベル特別夜間鑑賞会、往復はがきで購入・申し込みされたチケットは、公式リセールの対象外です。
大阪中之島美術館では、通常券の当日販売は行われません。
販売状況に応じて、今後チケットぴあで追加抽選が行われる予定ですが、実施時期や対象日程、申込方法は未発表です。
電子チケットを利用する場合は、スマートフォンでMOALAの電子チケットページを表示する必要があります。スクリーンショットでは入場できません。
また、電子チケットは同行者へ分配できないため、複数枚を購入した場合は、購入者と同行者がそろって入場する必要があります。
チケットの販売状況や追加抽選の案内は変更される可能性があります。来場を検討している人は、展覧会公式サイトで最新情報をご確認ください。


