江戸時代の版画というとほとんどの方は、木版画の浮世絵をイメージされるのではないでしょうか?浮世絵は、当時の庶民が夢中になった歌舞伎役者、美人、人気の小説等を題材に、大胆な構図や色彩表現を用いて制作され、それまでの日本絵画には見られなかった新しい様式を確立し、現在でも日本が世界に誇れるアートとして認識されています。しかし、江戸時代の版画は浮世絵だけではありませんでした。
当時の日本は海外諸国との大々的な貿易を閉じていた鎖国の時代。その中でもオランダ(オランダ東インド会社)とだけは長崎の出島において貿易を行っていました。(オランダが交易できたのはキリスト教布教活動を目的にしていなかったからです。)この交易を通じて徐々にではありますが、当時最新の西洋の文物も日本に流入してくるようになります。その中に西洋発祥の版画である「銅版画」の含まれていました。銅版画は、15世紀の前半にヨーロッパで発明された版画技法で、木版画と比較して細い線を用いて対象物を非常に細密に表現することのできる版画です。長崎から入ってくる書物の中には銅版画を用いた細密な図版が載せられている物もあり、その表現方法に魅せられて情報の少ない中、その再現に取り組んだ日本人のアーティストがいます。
彼らの作品を鑑賞できる機会が、現在、神戸市立博物館で「古地図からひろがる世界」展と共に開催されている「日本銅版画30の極み」展です。この展覧会を銅版画作家別に時代を追って、またその技法も含めてレポートしたいと思います。
〇司馬江漢(しば こうかん、1747年~1818年)
「日本初の銅版画家」。江戸生まれ。父の死をきっかけに、10代後半に浮世絵師、鈴木春信の弟子となり、鈴木春重の名で錦絵の版下等を描いていました。また20代後半には西洋画法にも通じた清人画家の宋紫石(1715年~1786年)のもとで写実的な沈南蘋(中国清代の画家、1682年~?)の花鳥画を学び、30歳前後で「江戸の万能人」平賀源内(1728年~1780年)と出会い、彼を介して洋画家の小田野直武(1749年~1780年)に洋画を学びました。
この作品は「三囲景」(神戸市立博物館蔵)。1783年に日本で初めて制作に成功した腐蝕銅版画(エッチング技法)です。(右側(下側)の図は作品の一部を抜粋したもので、右下にある黒と白のマスの列は黒白黒白黒の5マスで1cmの長さを表しています。)
エッチング技法とは、絵柄の部分のみを腐食させて版画の原版を作る技法であり、その技法は銅板の表面に防蝕剤を塗布した後、先が針状の「ニードル」で銅板の上に絵柄を描き、腐蝕剤に付けることによって防蝕剤が剥がれた絵柄の場所を腐蝕させることで絵柄の線を作り、その線にインクを入れてプレスすることで印刷する技法です。
この作品は一本一本の線の太さは均等で、全体的にやさしい雰囲気のあります。またモノクロの印刷になるため手彩色がされていますが、その色彩は淡く、東京を流れる隅田川の土手の景色を描いていますが、どこか温かい地方の風景のようにも感じられる作品です。
彼はこの他にも西洋の画材を使用せず、日本で古くから行われてきた漆工芸の技法を応用した油彩画も制作しています。
享年72歳。次回に紹介する亜欧堂田善と共に、蔦谷重三郎(1750-1797)とほぼ同世代を生きたアーティストです。
【参考文献】
「もっと知りたい司馬江漢と亜欧堂田善 生涯と作品」 金子信久 東京美術 2022年
「日本銅版画30の極み」 神戸市立博物館 2025年
(江戸の版画は浮世絵だけじゃない!!日本銅版画30の極み②へ続きます。)
音声ガイド:なし
作品撮影:すべての作品で可能
(「古地図からひろがる世界」展も同様)
図録:900円
神戸市立博物館
特別展 日本銅版画30の極み
2025年2月1日(土)~3月23日(日)
休館日: 月(ただし、2月24日[月・振休]は開館)、2月25日(火)
午前9時30分~午後5時30分
※展示室への入場は閉館の30分前まで
※金曜・土曜は午後8時まで開館