ロンドンにある大英博物館には、日本国外でも有数の規模と幅をもつ日本美術・日本文化のコレクションがあります。
浮世絵や絵画だけではありません。陶磁器、漆工、版本、武具、考古資料、さらには近現代の作品まで、その対象は先史時代から現代へ及びます。大英博物館自身も、日本ギャラリーを「日本国外でもっとも総合的で充実した日本コレクションのひとつ」と位置づけています。
では、なぜロンドンにこれほどの日本美術があるのでしょうか。
2026年7月25日から東京都美術館で開催される「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱〜海を越えた江戸絵画」は、その問いを考える格好の展覧会です。東京展の後には、大阪中之島美術館へ巡回します。
本展には北斎《神奈川沖浪裏》、歌麿、写楽、広重、国芳といったおなじみの浮世絵師も並びます。しかし、それだけを見るなら、大規模な浮世絵展という印象で終わってしまいます。
本展でむしろ注目したいのは、それらの作品が、なぜ大英博物館にあるのかという点です。
約150年前から日本へ渡り、作品を買った人。日本へ一度も来なかったのに、日本美術を集めた人。古墳を測り、埴輪や考古資料を持ち帰った人。そして、個人が集めた品々を博物館のコレクションへ組み込んでいった人。
大英博物館の「日本」は、一人の蒐集家が作ったものではありません。
画像:大英博物館正面外観|撮影:Jon Sullivan|出典:Wikimedia Commons|Public Domain
この展覧会の見どころ
- 大英博物館の日本美術コレクション形成に関わった5人の人物
- 江戸絵画から浮世絵まで、201件を通して見る海外の日本美術コレクション
- 歌麿《文読む遊女》、北斎《万物絵本大全》版下絵などの初里帰り作品
- 青森・ロンドン・シアトルへ分かれた襖絵の約150年ぶりの再会
大英博物館の「日本」は、誰が集めたのか
本展のプロローグでは、大英博物館の日本美術コレクション形成に関わった5人が紹介されます。
医師のウィリアム・アンダーソン、
小説家のアーサー・モリソン、
冶金技師兼考古学者のウィリアム・ガウランド、
博物館学芸員のオーガスタス・ウォラストン・フランクス、
詩人兼学芸員のローレンス・ビニョン。
興味深いのは、5人の立場がまったく違うことです。
彼らが日本に見つけたものも同じではありませんでした。
ウィリアム・アンダーソン|日本絵画を「集める」だけでなく「整理する」
ウィリアム・アンダーソン(1842〜1900)は外科医として来日し、1873年から1880年まで日本に滞在しました。
その間に日本・中国絵画を大規模に蒐集し、1881年には2000点を超えるコレクションが大英博物館に購入されています。さらに1886年には、大英博物館所蔵となった作品をまとめた日本・中国絵画目録を刊行しました。
つまりアンダーソンは、単に「日本で面白い絵を買った外国人」ではありません。
作品を集め、分類し、作者や流派を考え、日本美術を西洋の読者へ説明しようとした人物でした。
その蒐集品のひとつが、喜多川歌麿『百千鳥狂歌合』です。大英博物館所蔵本は1894年にアンダーソンから購入されたことが確認できます。
歌麿というと美人画の印象が強いかもしれません。しかし『百千鳥狂歌合』に描かれるのは鳥です。
狂歌と鳥の姿を組み合わせた版本で、鳥の羽根や姿態を繊細な多色摺で表しています。歌麿が人間の顔だけを見ていた絵師ではなかったこともよく分かります。
画像:ウィリアム・アンダーソン肖像|撮影者不詳、1900年以前|出典:Wikimedia Commons|Public Domain
喜多川歌麿『百千鳥狂歌合』より「燕と雉」|1790年|所蔵:Library of Congress|No known restrictions on publication|※本展出品作と同版本の別本
アーサー・モリソン|日本へ来なかった日本美術蒐集家
アンダーソンとは対照的なのが、アーサー・モリソン(1863〜1945)です。ロンドンの貧民街を描いた小説などで知られた作家ですが、日本美術の蒐集家としても活動しました。
ところが、モリソンには日本滞在経験がありません。
彼が集めたのは、日本国内で直接買い集めた作品ではなく、すでに海を渡り、英国を中心とする市場に存在していた日本美術でした。公式サイトも、モリソンが日本を訪れることなく、個人的なつながりを通して日本美術を蒐集したことを紹介しています。
そのコレクションの重要な部分が、1906年に大英博物館へ入ります。現在も大英博物館の浮世絵には「Purchased from: Arthur Morrison」「Acquisition date: 1906」と記録された作品が数多く残っています。
北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》も、その一枚です。
ここで面白いのは作品そのものより、作品の移動です。江戸で摺られた一枚の版画が海を渡り、日本を見たことのない英国人の手に入り、やがて大英博物館へ収蔵される。
現在私たちが「大英博物館の日本美術」と呼んでいるものの一部は、こうした19世紀末から20世紀初頭の美術市場を通して形成されました。
画像:アーサー・モリソン肖像|1903年以前、『The Bookman』掲載|出典:Wikimedia Commons|Public Domain in the United States
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》|1830~32年頃|所蔵:The Metropolitan Museum of Art|Public Domain / Open Access|※本展出品作と同図の別摺
ウィリアム・ガウランド|彼が集めた「日本」は古墳だった
5人の中でかなり異色なのが、ウィリアム・ガウランド(1842〜1922)です。
1872年に来日したガウランドは、大阪造幣局で冶金技術者として働きました。しかし現在、その名は「日本アルプス」という呼称を初めて用いた人物であることや日本考古学史で広く知られています。
在日期間中、ガウランドは各地の古墳を調査し、墳丘や石室を測量しました。銅鐸、埴輪、石器なども蒐集しており、本展にも6世紀の《巫女形埴輪》が出品されます。
この埴輪は、現在の埼玉県本庄市付近で出土したと考えられている人物埴輪で、ガウランド自身が1897年、さらに1907年の論文に線描図を掲載しています。大英博物館の作品データにも、その来歴とガウランドによる記録が残されています。
ガウランドの面白さは、ここからです。
1907年に発表した古墳研究を見ると、英語で記された図の中に、
――MISE(YAMATO)
という地名が突然現れます。奈良県橿原市の見瀬丸山古墳です。
現在では全長300メートルを超える巨大前方後円墳で日本最大級の横穴式石室を持つことで知られる見瀬丸山古墳ですが、ガウランドはすでに19世紀に実測し、その形状を記録していました。
しかも、大英博物館にはガウランドが採集した古墳資料が残り、それらの一部は次に紹介するフランクスを経由して博物館へ入っています。たとえばガウランド採集の埴輪片には、1889年にフランクスから寄贈されたことが記録されています。
ここまで来ると、「海外にある日本美術」という言葉だけでは収まりません。ガウランドが英国へ持ち帰ったのは、美術作品だけではなく、日本列島の歴史を理解するための資料そのものだったのです。
画像:ウィリアム・ガウランド肖像|1888年頃|原資料:大阪造幣局『造幣局八十年史』|出典:Wikimedia Commons|Public Domain
ウィリアム・ガウランド『The Burial Mounds and Dolmens of the Early Emperors of Japan』掲載《巫女形埴輪》図|1907年|出典:Internet Archive|Public Domain
ウィリアム・ガウランド『The Burial Mounds and Dolmens of the Early Emperors of Japan』掲載《DOUBLE MOUND AT MISE (YAMATO)》|1907年|出典:Internet Archive|Public Domain
オーガスタス・ウォラストン・フランクス|蒐集品を「博物館」に変える
オーガスタス・ウォラストン・フランクス(1826〜1897)は、アンダーソンやガウランドとは立場が違います。
彼は大英博物館の学芸員でした。
自身も陶磁器を中心に膨大な作品を蒐集しましたが、それ以上に重要なのが、個人の蒐集品を大英博物館のコレクションへ結びつける役割です。
公式サイトでも、フランクスがアンダーソンやガウランドらのコレクションを大英博物館が所蔵する際に助力した人物として紹介されています。
19世紀の博物館は、世界各地から物を集める巨大な装置でもありました。しかし作品は、博物館へ勝手に集まってくるわけではありません。
誰を知っているのか。何を重要と判断するのか。どのコレクションを購入し、どれを寄贈として受け入れるのか。
フランクスの存在を見ると、大英博物館の日本コレクションが、個々の蒐集家だけではなく、それらを選択し、公共のコレクションへ変える博物館人によって作られてきたことが見えてきます。
画像:オーガスタス・ウォラストン・フランクス肖像|出典:Wikimedia Commons|Public Domain
A.W.フランクス『Catalogue of a Collection of Oriental Porcelain and Pottery』|19世紀刊|出典:Internet Archive / Wikimedia Commons|Public Domain
ローレンス・ビニョン|集まった浮世絵を美術史へ位置づける
ローレンス・ビニョン(1869〜1943)も大英博物館の学芸員でした。
一方で詩人としても知られ、東洋美術について多くの著作を残しています。
ビニョンはモリソンら蒐集家と交流し、そのコレクションが大英博物館へ入る過程にも関わりました。とりわけ浮世絵蒐集に大きな役割を果たし、1916年には大英博物館の日本・中国木版画目録を刊行しています。
写楽の作品は現在では日本美術史の教科書にも登場します。
しかし、作品が博物館へ入っただけでは「美術史」にはなりません。
――作者を同定し、作品を分類し、他作品と比較し、目録を作り、公開する。
アンダーソンからビニョンへ続く流れを見ると、大英博物館が行ったのは日本美術を「所有する」ことだけではなかったことが分かります。
集めた日本を、整理し、説明できる日本へ変えていった。
この作業もまた、現在の大英博物館日本コレクションを形作っています。
画像:ローレンス・ビニョン肖像|ウィリアム・ストラング作、1898年|出典:Wikimedia Commons|Public Domain
東洲斎写楽《二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉》|1794年|所蔵:The Metropolitan Museum of Art|Public Domain / Open Access|※本展出品作と同図の別摺
5人が見た「日本」は、同じではなかった
ここまで5人を並べると、大英博物館の日本美術コレクションが一枚岩ではないことが分かります。
アンダーソンが絵画を、モリソンが浮世絵を、ガウランドが考古資料を見つめたように、彼らが捉えた「日本」は同じではありませんでした。さらにフランクスとビニョンが、それらを博物館のコレクションとして受け継いでいきます。
その異なる視線が重なった結果として、現在の大英博物館には先史時代から現代までを横断する巨大な日本コレクションが残されています。ここが、本展を単純な「海外の日本美術名品展」として見ないための出発点になります。
大英博物館が集めた「江戸」
本展第1章には、狩野派、土佐派、琳派、円山四条派、文人画など、江戸時代のさまざまな絵画が45件並びます。
幕府や大名家と結びついた狩野派、装飾的な画面を展開した琳派、写生を重視した円山応挙とその周辺、中国文化への憧憬をもとに独自の世界を築いた文人画。江戸時代の絵画は、決して浮世絵だけではありません。
ところが第2章へ進むと、展示の重心は大きく変わります。
全201件のうち、浮世絵版画と肉筆浮世絵は合わせて140件。およそ7割を占めます。
公式が「八大浮世絵師」として挙げるのは、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、初代歌川豊国、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳。作品数だけを見れば、本展は大規模な浮世絵展でもあります。
この偏りは、大英博物館の蒐集史を考えるうえでも興味深いものです。
屛風や襖、掛軸の多くが一点物であるのに対して、浮世絵版画は同じ版木から複数を摺ることができます。江戸の都市文化の中で広く流通した版画は、19世紀後半になると海外市場にも大量に出回り、欧米の蒐集家にとって体系的に集めやすい存在になりました。
日本へ一度も来なかったアーサー・モリソンが大規模な浮世絵コレクションを形成できたことも、その流通の広がりをよく示しています。
大英博物館に大量の浮世絵が残っていること自体が、近代に日本美術が世界へ広がっていった歴史の一断面なのです。
春信から国芳へ ―― 二枚で見る浮世絵の変化
100件を超える浮世絵を一人ずつ紹介する必要はないでしょう。本展から対照的な二作品を選んでみます。
1760年代の鈴木春信《雪中相合傘》には、雪の中を一つの傘で歩く男女が描かれています。
多色摺の錦絵が成立した時代の作品で、静かな色彩と余白の中に小さな物語が置かれています。
それから約80年後。
歌川国芳《相馬の古内裏》では、三枚続の画面を巨大な骸骨が横切ります。
春信の静かな男女から、国芳の巨大骸骨へ。
その間に清長、歌麿、写楽、豊国、北斎、広重が現れ、人物、役者、風景、武者、怪異へと浮世絵の世界は大きく広がっていきました。
画像:鈴木春信《雪中相合傘》|1764~72年頃|所蔵:The Metropolitan Museum of Art|Public Domain / Open Access|※本展出品作と同図の別摺
歌川国芳《相馬の古内裏》|1845~46年頃|Wikimedia Commons|Public Domain|※本展出品作と同図の別摺
その流れについては、別記事で詳しく紹介しています。
浮世絵を読む|江戸から明治の浮世絵師と視覚文化
春信、清長、歌麿、写楽、北斎、広重、国芳、さらに芳年・暁斎へ。浮世絵が江戸から明治までどのように変化したのかを、時代順にたどります。
「有名作」より、今回戻ってきたものを見る
本展には北斎《神奈川沖浪裏》や《凱風快晴》も並びます。
もちろん重要な作品ですが、同じ図柄の摺りは複数現存し、日本でも繰り返し紹介されてきました。
今回の展覧会ならではという点では、むしろ長く海外にあり、初めて日本へ戻ってくる作品や、通常なら残らないはずだった制作資料の方が気になります。
歌麿《文読む遊女》―― 版画ではない一枚
喜多川歌麿《文読む遊女》は、2011年に新たに確認された肉筆画で、本展が初里帰りとなります。
歌麿といえば美人大首絵などの版画で知られますが、肉筆画は当然ながら同じものを複数摺ることはできません。
版画なら同じ図柄がロンドンにも東京にも存在し得ます。しかし肉筆画は、その一枚が海外に渡れば、日本からは姿を消します。
「里帰り」という言葉が、版画とは少し違う意味を持つ作品です。
北斎《万物絵本大全》―― 本来なら消えるはずだった線
葛飾北斎《万物絵本大全》の版下絵も、本展で注目したい資料です。
版下絵は、絵師が描いた原稿を版木へ貼り、その線に沿って彫師が版を彫るために使われます。そのため通常は制作工程の中で失われます。
ところが《万物絵本大全》は出版されなかったため、版下絵が残りました。
長く所在不明となった後、2020年に大英博物館が103点を一括取得。本展ではそのうち8点が初里帰りします。
ここで見るのは完成した「北斎の版画」ではありません。彫師によって版木へ移される前の、北斎自身の線です。
知名度なら《神奈川沖浪裏》ですが、本展でしか得にくい体験という意味では、こちらの方が面白いかもしれません。
青森・ロンドン・シアトル ―― 一つの部屋が三つに分かれた
そして「海を越えた江戸絵画」という展覧会名をもっともよく体現しているのが、狩野宗眼重信の襖絵です。
現在、一連の作品は青森県中泊町の宮越家、大英博物館、シアトル美術館の三か所に分かれています。
近年の調査によって、宮越家の《春景花鳥図襖》と大英博物館の《秋冬花鳥図襖》が一連の作品だったことが判明しました。さらに、大英博物館所蔵襖の反対面にあたるのが、現在シアトル美術館に所蔵される《琴棋書画仙人図襖》です。
今回再会するのは、単に三つの絵ではありません。襖は本来、建築の一部です。
部屋を仕切り、開けば別の空間へつながり、表と裏では異なる絵を見る。その場所に暮らす人の動きまで含めて成立していたものでした。
それが解体され、一部は青森に残り、一部はロンドンへ渡り、その反対面はシアトルへ移った。
約150年ぶりの再会とは、ばらばらになった名画を並べること以上に、失われた一つの空間を一時的に組み直すことなのです。
海を越えた150年も、作品の歴史である
日本美術が海外にあると、「流出」という言葉だけで語りたくなることがあります。
確かに、作品が寺院や邸宅、地域から切り離されれば、本来の置かれ方や用途、周囲の作品との関係が分からなくなることがあります。三か国に分散した襖絵は、その典型でしょう。
しかし、作品の時間は日本を離れたところで止まったわけではありません。
――蒐集され、売買され、博物館へ入り、目録が作られ、研究される。
その過程そのものが、すでに作品の来歴の一部になっています。本展で初里帰りする作品や、再び一堂に会する襖絵を見ると、そのことがよく分かります。
大英博物館から来た作品を見る面白さは、「海外にある日本の名品」を一時的に取り戻すことだけではありません。
日本で生まれた作品が、その後どこへ行き、そこでどんな150年を過ごしてきたのか。
「百花繚乱〜海を越えた江戸絵画」は、そこまで含めて見ると輪郭の変わる展覧会です。
開催情報
| 展覧会名 | 東京都美術館開館100周年記念 大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱〜海を越えた江戸絵画 |
|---|---|
| 公式サイト | https://daiei-ten2026.exhibit.jp/ |
| 会期 | 2026年7月25日(土)~ 2026年10月18日(日) |
| 休室日 | 月曜日、10月13日(火) ※8月10日(月)、9月21日(月・祝)、10月12日(月・祝)は開室 |
| 開室時間 | 9:30~17:30(金曜日は20:00まで) ※入室は閉室の30分前まで |
| 会場 | 東京都美術館 |
| 住所 | 東京都台東区上野公園8-36 |
| 観覧料 | 一般 2,300円、大学・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,600円 18歳以下・高校生以下無料 ※7月28日(火)~8月7日(金)の平日は大学・専門学校生も無料 |
| 音声ガイド | 会場レンタル版 1台700円(税込) アプリ配信版 750円(税込) |
巡回情報
| 会期 | 2026年10月31日(土)~ 2027年1月31日(日) |
|---|---|
| 休館日 | 月曜日、11月24日(火)、12月31日(木)、2027年1月1日(金・祝)、1月12日(火) ※11月23日(月・祝)、1月11日(月・祝)は開館 |
| 開場時間 | 10:00~17:00(金曜日は20:00まで) ※入場は閉場の30分前まで |
| 会場 | 大阪中之島美術館 |
| 住所 | 大阪府大阪市北区中之島4-3-1 |

