1.開催概要
「学ぶことは、写すことから始まる。」
上野の東京藝術大学大学美術館で開催中の「藝大コレクション展2025『名品リミックス!』」は、東京藝術大学(以下、藝大)が長年にわたり収集・保存してきた作品・資料を通じて、「学ぶためにうつす」という芸術教育の原点をたどる展覧会です。
展示は一つの大空間をテーマごとに緩やかに区切り、模写・文様・彫刻・絵画・祈りの図像が連続的に呼応する構成です。学生や研究者が先人の筆跡を追い、形を写し取りながら学びを深めてきた「藝大という学びの記憶装置」を、実物を通して体験できます。
2.展示構成
第1章 名品と対話する秋
藝大コレクションの起点は、東京美術学校の開校準備期にまでさかのぼります。初代校長の岡倉天心(1863–1913)は「新たな創造には過去の優品の参照が不可欠」と定め、国内外の名品を教育目的で収集しました。
会場入口付近には、その理念を象徴する高橋由一や菱田春草の作品が並びます。
高橋由一『花魁』(1872、重要文化財)
吉原の風俗を記録する意図で描かれた油彩画であり、衣装や表情の細部まで油彩で丹念に表現されています。この作品はあまりにも生々しく描かれているところが見どころで、モデルの花魁が「私はこんな顔じゃありません」と涙した逸話が伝わるほどの迫真性が見どころです。
実際に目の前で見ると、画面の厚みや光沢に圧倒され、油彩という技法が、記録を超えて“生身の存在”を刻んでいるようです。
菱田春草『秋景山水』(1893)
学生期の作で、淡墨のぼかしによる静謐な風景が特徴です。近代日本画の方向性を切り開く前段階の試行がうかがえます。
実物の前で筆致や質感を感じ取る体験は、図版では得られない「手の記憶」を呼び覚ましてくれます。
第2章 平櫛田中コレクション|手で学ぶ
彫刻家の平櫛田中(1872–1979)は、大阪の人形師に学んだのち上京し高村光雲に師事、107歳まで制作を続けました。東京美術学校では昭和27年まで彫刻科を指導し、「学生は優れた作品を自分の目で見よ」を信条としました。

『鏡獅子』(1940)
この演目を当たり芸としていた六代目尾上菊五郎の所作をもとに、筋肉・骨格の構造を押さえたうえで豪華な衣裳を彫り出し、舞の躍動を木に宿した彼の代表作です。後に全高2メートル超の完成版が制作され、長らく国立劇場のロビーに設置されていましたが、現在は岡山県の井原市立平櫛田中美術館で公開されています。衣裳を脱いだ検討モデルも併せて制作され、今回の展示では完成作と並んでそれも展示されており、その形と動きの検討過程を伺うことが出来ます。
教育用に寄贈された「平櫛田中コレクション」は149点におよび、自作に加えて同時代作家の彫刻も含みます。彼にとって木彫は、対象の内側を感じ取り信念を形にする行為でした。その精神は現在も藝大の制作教育に息づき、学生は木と向き合いながら「手で考える」学びを続けています。
第3章 文様を記録する|小場恒吉と文様史
小場恒吉(1878–1958)は、日本の文様史研究の基礎を築いた研究者です。古社寺や仏像の文様を実地調査し、起源と展開を探りました。
展示の中心は、講義用に整えられた『日本文様史』の図版資料です。仏像の光背・宝冠、鏡、唐草・蓮華、料紙装飾(古筆の料紙に施された金銀の文様)など各時代の文様を、緻密な線描で写し取り、類似関係の比較から体系化を試みています。線で形を写すだけでなく、素材の質感や立体感まで捉えている点が特徴です。

たとえば中国後漢時代(1〜2世紀、日本の奴国が漢委奴国王印を授受した時代)の青銅器『金錯狩猟文銅筒』は、発掘当初は錆で判別が難しい状態でしたが、小場は文様を丁寧にトレースし展開図として復元。馬上の人物や駆ける動物の動勢が明瞭になりました。小場の仕事は、美術史・考古学・建築史を横断する成果であると同時に、「写すことによる思考」の実践そのものです。
ここで少し足を止めて、ぜひ文様の細部を見てみてください。
第4章 東京美術学校 西洋画科|模写と素描
1896年に西洋画科が設置され、黒田清輝らが外光表現を導入して教育の基盤を整えました。
藤島武二『ベルジーノ像』
(伝ラファエロ原作)
イタリア留学時の本格的な模写で、ルネサンスの構図と人物描写を自らの語彙に取り込もうとする試みです。モデルのベルジーノはラファエロの師匠であり、2025年大阪万博のイタリア館で『正義の旗』が展示されていたので、ご存じの方も多いと思います。
和田英作『受胎告知』
(フラ・アンジェリコ原作)
フィレンツェのサン・マルコ美術館蔵の『受胎告知』を模写した作品です。柔らかな光と色調の移ろいを丹念に再現しています。模写ではありますが、大天使ガブリエルや聖母マリアの面影に日本人が映るのは私だけでしょうか?
これらの模写群は、モチーフの選択と筆致の観察を通じて「描くこと」が「考えること」に変わる過程を示します。模写はコピーではなく、観察・分析・再構成によって自分の表現へと昇華させるための学びそのものでした。
第5章 狩野派・住吉派|図像の継承と戯画の知恵
狩野派は室町以来、幕府の御用絵師として約400年にわたり日本絵画の中心を担い、粉本・模本を核に図像を継承しました。展示では狩野常信『狩野家縮図』などが、家の伝統と学習の仕組みを物語ります。
住吉派は土佐派の流れをくむ住吉如慶らによって発展し、宮廷絵所の伝統を受け継ぎながら物語絵の表現を豊かにしました。『源氏物語絵巻』の模写や住吉家粉本から、世代を超えた図像研究の積み重ねが読み取れます。
一方で、戯画『清神仙山図』のようなユーモラスな作も展示され、学びの場に「遊び」が共存していたことを示しています。写すことは規範の確認にとどまらず、自由な発想を育てる創造の原点でもありました。
第6章 祈りをうつす
最奥は静かな祈りの空間です。森山香浦『吉祥天像』(1911以前)は、奈良薬師寺の国宝を精緻に写した模写で、穏やかなまなざしと細密な彩色が、神仏画の伝統を次代へとつなぎます。軸装ならではの光の反射による表情の変化も見どころです。
この系譜は、大河原典子『薬師寺蔵国宝 吉祥天画像 現状模写』(2004、麻布)へ受け継がれ、支持体や織目まで追従する高度な再現で、筆跡の呼吸を現在に呼び戻します。
現代作では福田美蘭『秋-悲母観音』(2012)。狩野芳崖『悲母観音』(1888、東京藝術大学蔵)を参照しつつ、東日本大震災の被災者への鎮魂と再生の願いを金地の画面に託しました。
ここで実感するのは、写すことが過去をなぞる行為ではなく、祈りや思いを受け継いで未来へつなぐ“再生の表現”だということです。
3.まとめ
藝大コレクション展2025「名品リミックス!」は、単なる所蔵品展ではなく、「うつす」ことの意味を改めて問い直す場でした。
名品を前に、学生たちはその筆の運びや素材の息づかいを感じ取り、先人の技と思想を自らの手で確かめてきました。そこには、作品を写すことを通じて「もう一度生きた時間をつくる」という、学びと創造の往復運動があります。
展示をたどると、過去の模写や図像研究、そして現代の表現までが一本の糸でつながっていることに気づきます。平櫛田中が彫り込んだ祈りの手、小場恒吉がなぞった線、藤島武二や和田英作が探った光、そして福田美蘭が描いた現代の観音像──それぞれの作品が「見る」「写す」「考える」「つくる」という人間の根源的な営みを映しています。
「うつす」とは、過去をまねることではなく、未来に向けて思考を受け継ぐこと。
藝大の収蔵品に通底するのは、その静かな情熱です。展示室を出るとき、私たち自身もまた、何かをうつしとって次へ渡す存在になっているのかもしれません。
「うつすことは、見ることの延長線上にある創造です。
次に美術館を訪れたとき、あなたは何を“うつして”みますか?」
4.展覧会情報
会場:東京藝術大学大学美術館(東京都台東区上野公園12-8)
会期:2025年10月7日(日)〜 2025年11月3日(月・祝)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
開館時間:10:00〜17:00
観覧料:一般500円、大学生250円、高校生以下及び18歳未満は無料


